水原勇気(みずはら ゆうき)

[登場作品] 野球狂の詩/野球狂の詩 平成編/新・野球狂の詩
[経歴・所属] 東京メッツ-札幌華生堂メッツ
[身長・体重] 172cm
[スリーサイズ]
[血液型]
[生年月日]
[投打] 左投
[背番号] 1→91
[ポジション] 投手
[声優・俳優] 木ノ内みどり(実写劇場版/TVアニメスペシャル)/信沢三恵子(TVアニメシリーズ)/斎藤由貴(実写ドラマ)/山崎和佳奈(激闘プロ野球)

左のアンダースローという珍しいタイプの投手。
高校時代は獣医師志望。将来、アフリカに渡り動物の治療をしたいという夢を持ち、そのための体力を付けるために、男子に混じり野球をやっていた。
それが、東京メッツのスカウトの目にとまり、’75年のドラフトで1位指名される(ちなみに、この年のドラフトでは、巨人が篠塚利夫、広島が北別府学、中日が田尾安志を1位指名している)。
当初は頑なに入団拒否の姿勢だったが、メッツ側の粘り強い説得の前に翻意。
だが、当時は女子の選手登録は認められておらず、選手登録ができない状態に置かれた。
翌'76年、協約を強行突破して、阪神とのオープン戦で登板。4回2/3はパーフェクトに抑えるが、その後スタミナ切れでメッタ打ちを喰らい11失点する。
しかし、途中までの好投が評価され、特例として選手登録が認められる。
初登板では、3回を無失点に押さえ、セーブを記録するが、2度目の登板では、またもやスタミナ不足を露呈。メッタ打ちに合い、二軍落ちする。
二軍では、ボウリングからヒントを得た、魔球「ドリームボール」を開発。
このドリームボールを抱えて、再度、一軍カムバック。
9回2死2ストライクからの限定登板という形で2敗と11セーブを記録する。
結局、'76年の成績は、0勝3敗11セーブ、防御率5.79。
なお、この年には、オールスター戦にも出場している。
'79年、練習中に打球を脚に受け、これが元で、一旦は引退に追い込まれる。
その後は、普通の主婦となっていた(婿養子を貰ったらしく、姓は水原のまま)。
'97年(当時39ないし40歳)、身売りを発表していたメッツの、お別れ試合に記念登板。セーブを記録する。
結局、メッツは、身売りを撤回。彼女に投手コーチ就任を要請をするが、一旦は固辞。
だが、メッツ2人目の女性投手国立珠美が入団するにあたり、コーチ就任。
同時に、現役復帰もするが、事実上は専任コーチのような形だった。
だが、'99年(当時41歳ないし42歳)、横浜戦で、9回表2死満塁、1点リードの場面で、ストッパーとなっていた国立が四球の判定に激昂。主審に暴行を働いたため、退場となり、仕方なく登板。
鈴木尚典を三振にしとめる。その裏、味方のサヨナラホームランが出たため、勝ち投手となる(これが、誌面上確認できる唯一の勝ち星である)。
東京メッツが身売りして、札幌華生堂メッツになっても、引き続きコーチを務める。