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2013年01月14日

平成二十三年の野球娘。

以下は大正野球娘。合同誌第二弾「櫻花球宴」 に寄稿した私の作品です。
頒布から2年が経過したこともあり、せっかくなので全文公開しちゃいたいと思います。

なお、以前にあとがき的なものも書いたので、読後にそちらも合わせてご覧いただければ幸い。
『平成二十三年の野球娘。』あとがき的なもの: nokotsudo BLOG

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右手に握ったバットを垂直に立て、右腕を水平に伸ばしてマウンドの上の投手を見つめる。
打席に立った時、私が必ず行う動作だ。
私が立っているのは京都わかさスタジアムのバッターボックス。マウンドには女子球界のエースと称される右腕が立っている。
相手投手はその評価に恥じぬ好投で、チームの得点は相手のエラーから取った一点のみ。相手チームに大量のリードを許していた。
試合はすでに最終回ツーアウト。私が出塁できなければ最後の打者になる。このまま負けるにしてもなんとか一矢報いたいところだ。
私の前の二打席は見逃しの三振とキャッチャーフライ。どちらもストレートで打ち取られた。この打席もすでにワンボールツーストライクと追い込まれている。
一球外してくるか、それとも勝負に来るか。
決め球はストレートか、それとも変化球か。
今日の相手投手のストレートは走っているし、前の二打席ともストレートで打ち取ったことは相手バッテリーも分かっているだろう。裏をかいて今度は変化球勝負ということも考えられる。
頭にさまざまなことが駆け巡るが、判断がつかなかった。
考えがまとまらないまま向かったのが悪かったのか、中途半端に出したバットは外角のボール気味の変化球をひっかけてしまい、打球はぼてぼてとショートに転がっていった。
遊撃手が簡単にボールを取り一塁に送球。スリーアウト。
結局今日の私は三打数ノーヒット。試合も7対1で私たちの完敗だった。

私の名前は草薙綾梅(あやめ)。
設立されて二年目の女子プロ野球リーグに今年から加入したルーキーだ。
ここ京都わかさスタジアムを本拠地とする京都アストドリームスに所属している。
私はニ歳年上の兄の影響もあって小さな頃から野球が大好きな子だった。小・中は男子に混じってリトルとシニアに所属してたし、高校も実家から離れて女子硬式野球部のある学校に入学したくらいだ。
そんな私が高校二年生のとき、女子プロ野球リーグが設立された。高校卒業後も野球を続けたいと思っていた私にとって願っても無いことだった。
二年目の今年はそれほど多くの選手が獲得されたわけじゃないけど、私はトライアウトに見事合格し、晴れてプロ野球選手となることができた。
高校の頃はこれでも女子野球の名門校で四番キャプテンを務めていた私、守備は先輩たちと比べればまだまだだけど打撃には自信があった。
新監督は男子のプロ野球で監督を務めたことのある元プロ野球選手で、打撃を重視していることもあり、私はルーキーながらオープン戦から積極的に起用された。
オープン戦でそれなりの成績を残し、開幕戦でもスタメンの座を勝ち取った私だったけど、さすがにプロは甘くなかったのか開幕以後は打率も低空飛行。スタメンを外されることも多くなった。
開幕から三ヶ月、久しぶりにスタメンで起用された今日の試合でもノーヒットと結果を残せず、打率もとうとう二割を切ってしまった。
打率とともに自信も気分もどん底というのが今の私の状況だった。

女子プロ野球リーグでは試合後、選手たちが観客と一緒にスタンドのゴミ拾いを行っている。
直接ファンと触れ合うこともできるし、選手をより身近に感じてもらえるのはいいと思うんだけど、こういう日はやっぱり気が重い。
「がんばってくださいね」
「応援してます」
そんな風に声をかけてくれるファンの人たちに、なるべく沈んだ気持ちを見せないよう笑顔で応える。
応援してくれるファンの存在は嬉しいけど、試合に負けて活躍もできなかったときにはちょっと辛いものがあるなあ。まあ、男子のプロ野球のように野次を飛ばされるよりはずっとマシなんだろうけれど。
「すみません。草薙綾梅さん?」
そんなことを考えていた私に声をかけてくる人がいた。
眼鏡をかけた女の人。年の頃は二十代後半くらいだろうか。いかにも仕事のできるお姉さん、といった感じの美人だ。
「私、こういうものなんだけど」
そう言いつつ名刺を渡してくる。
「秋川桐子(とうこ)さん……。新聞記者の方ですか」
「ええ、そうよ。えーと、綾梅さんって呼んでいい?」
「ええ、いいですよ」
「ありがとう、私も桐子でいいから。この後少しお時間いいかしら。チームの許可はもう取ってあるから」
「というと、取材ですか?」
「うーん、取材も是非お願いしたいところなんだけど、今日はちょっと違うのよね。実はあなたに会ってほしい人がいるの」
「会ってほしい人? 誰ですか?」
「それは会ってのお楽しみ、かな。そんなに時間取らせるわけじゃないのでお願い、ね?」
そう言って手を合わせる桐子さん。
私に会わせたい人というのが誰なのかは気になったけど、球団の許可も取っているのであれば特に断る理由は無い。
了承の旨を伝えると、待ち合わせの時間と場所を告げて桐子さんは去って行った。
それじゃあ、さっさと掃除を片付けますか。

「おーいこっちよ」
球場の近くの待ち合わせの場所に行くと、桐子さんが手を振っていた。
そこには桐子さんの他にもう一人いた。
車いすに座った上品そうなおばあさん。お年寄りの年齢ってよくわからないけど、私のおばあちゃんよりはずっと年上なんじゃないだろうか。
「あなたに会わせたい人というのはこちら」
「はじめまして。桐子の祖母の鏡子と言います。ごめんなさいね。急にお呼び立てして」
そう言っておばあさんはほほ笑んだ。笑うとチャーミングで、若い頃はさぞ可愛らしかったのだろうと思った。
「実はあなたにお会いして直接差し上げたいものがあったのよ。そのために孫の桐子に無理を言ってあなたを呼んでもらったの」
その言葉を受けて、桐子さんは担いでいた大きめのカバンから布に包まれた棒状のものを取り出し、鏡子さんに渡した。
「どうぞ。受け取ってもらえるかしら」
「はあ」
よくわからないまま鏡子さんからそれを受け取る私。
丁寧に巻かれた白い布を取ると、中からは木製バットが出てきた。かなり古いもののようで黒ずんでいる。前に野球博物館に行った時に見た昔のバットがこんな感じだったかもしれない。
メーカーのラベルなんかは無かったけれど、よく見ると文字が書かれており、

こてつ 東邦星華 櫻花會

と読めた。
東邦星華は確か東京のお嬢様学校だったと思うけど、櫻花會って何だろう。あと、こてつって、人の名前?
「このバットは……?」
「そのバットはね、私があなたのひいおばあ様からいただいたものなの」
ひいおばあちゃん?
四人いる私のひいおばあちゃんのうち、三人は私が生まれる前に亡くなっていて詳しくは知らない。私に関係がありそうな人となると……。
「ひいばあちゃ、巴おばあちゃんですか?」
私のお母さんのお父さんの、そのまたお母さんにあたる巴おばあちゃん。私がまだ小さい頃に亡くなったけど、生前は何度も遊びに行ったことがある。
私の綾梅という名前の名付け親になってくれたのも巴おばあちゃんだと聞いている。私も“ひいばあちゃん”と呼んで懐いていた。
「ええ、巴さんよ。巴さんは女学校で私の一年先輩だったの」
ひいばあちゃんが亡くなった時は八十歳を優に過ぎてたはずだから……、同世代ということは鏡子さん、もう百歳近いんじゃないだろうか。
「巴さんはとても綺麗な人でね。私たち寮に住んでいた下級生の憧れの人だったのよ。そのバットは、私が家の都合で海外に行かなくてはいけなくなったときに、巴さんが私にくださったものなの」
「そうだったんですか。でも、どうしてバットを」
女学生とバットは縁遠いものに思えるけど。
「私と巴さんはね、一緒に野球をやっていたの」
女学校で、野球?
「あれは私が女学校に入学した年だから、大正の終わり頃ね……」
そう前置きして鏡子さんは語り出した。
大正野球娘たちの物語を――。

ひいばあちゃんのクラスメートが許婚を見返すために野球を始めることを決意したこと。
一緒に野球をする仲間を集めて、桜花会という会を作ったこと。
最初はみんな野球のルールもろくに知らなかったけれど、みんなで様々な特訓をしたり合宿をしたりと練習を重ねたこと。
年上の男子と試合し、敗れはしたけど精一杯戦ったこと。

そんなお話を大切な宝物を数えるかのように鏡子さんは話してくれた。
「すごい話よね。小説にしたら二冊、コミックなら五冊、アニメなら十二話くらいになりそうよね」
と、桐子さんが妙な感心の仕方をしてるけど、すごい話だというのは同感だった。
最近は女子野球の認知度は上がってきたとはいえ、それでも「女が野球なんか」と思っている人はまだまだ多い。
現在でさえそうなんだから、大正時代、男尊女卑が今よりずっとすごかった時代に男子と野球をやるなんて、お転婆とかそんなレベルじゃなかったんじゃなかろうか。
私も少しは女子野球の歴史は知っているので、日本で初めての女子野球は大正時代の女学校で行われた、なんて話は聞いたことがあった。
でもそれは歴史の教科書に載っていた大正デモクラシーや米騒動なんかと同じで、全然実感の湧かない遠い昔のお話だった。
それが、自分のひいおばあちゃんが野球をやっていて、そのチームメイトだったという人が目の前にいるのはなんだかとっても不思議な感じだった。
「そのバットはね、男子との試合で巴さんがホームランを打ったバットなの。あれから何十年……。あの戦争のときも、戦後の大変なときもずっと私と一緒だったわ。私にとっては御守りみたいなものだったのよ」
「えっ、そんな大切なもの、いただいていいんですか?」
「いいの。私は十分守ってもらったわ。巴さんのひ孫のあなたにこうして出会えたのも巴さんのお導きだと思うの。是非もらってちょうだい」
そこまで言われて断るのも申し訳ない気がした。
それに大好きだったひいばあちゃんの形見みたいなものだ。私だって手元に置けるものなら置いておきたい。
「それじゃあ、いただきますね」
「その代わりと言ってはなんだけど……」
鏡子さんはいたずらっぽい笑顔になった。
「綾梅さん。お願いがあるのだけど、うんと言ってくださらないかしら」
「え? 最初に内容を言うものじゃないですか?」
反射的にそう答えてしまう。
「最初にうんと言ってくださらなくてはいけないわ。……なんて、うふふ、冗談よ。お願いというのはね、ここでそのバットを振ってみてくれないかしら」
「え、ええ、それくらいお安い御用ですけど。」
数歩下がって二人にバットが届かない位置に移動する。
こてつ、と刻まれたバットを右手で握り、腕を水平に前に伸ばしていつもの構えを取る。
すると、すうっと私の脳裏にすっかり忘れていた昔の光景が浮かびあがってきた。

あれは私が四歳くらいの頃。ひいばあちゃんの家に遊びに行った時のことだ。
ゴムボールとプラスチックのバットでお兄ちゃんと野球のまねごとに興じていた。
ひいばあちゃんは縁側からその様子を穏やかな表情で眺めていた。
お兄ちゃんがピッチャー役で私がバッター役。
お兄ちゃんは手加減すること無く思いっきりボールを投げるのでいくら私がバットを振っても全然ボールに当たらなかった。
なんとかボールに当てようと、バントみたいな形でバットを持ってへっぴり腰でボールに当てに行こうとしたとき、それまでにこにこと眺めているだけのひいばあちゃんから声がかかった。
「綾梅ちゃん。バットは思いっきり振らないとだめよ」
「えー、でも当たらないよぉ」
「当たらなくてもいいのよ。バットというのはね、迷ったり、中途半端な気持ちで振るのが一番だめなのよ。一振り一振り、気持ちを込めて振らないと。空振りしたらどうしようとか結果は考えないの。空の彼方に吸い込まれていく白球のイメジだけを描いて、勇気を持って振り抜くのよ」
ひいばあちゃんの言うことは当時の私にはちょっと難しかったけど、バットは思いっきり振らなくちゃいけない、ってことだけはわかった。
ひいばあちゃんの言う通り、空振りすることとか考えない。
プラスチックのバットに気持ちを込めて思いっきり振り抜く。
何度かフルスイングを繰り返しているうちについにバットがボールを捕らえた。
ぽーん!
空の彼方、とまではいかなかったけど、ボールはお兄ちゃんの頭を大きく越えて飛んで行った。
「やったー!」
「ね、気持ちいいでしょ。今の気持ちを忘れちゃだめよ。女は度胸、野球も度胸なんだから」
「はーい!」
ひいばあちゃんの言葉に私も笑顔でうなずいた。

ひいばあちゃんのバットが、私の胸の奥に埋もれていた思い出を甦らせてくれたんだろうか。
そんな出来事はすっかり忘れていたけど、ひいばあちゃんの教えはずっと私の中に生きていた。
子供の頃からずっと、バットを振る時は結果を気にせず、失敗を恐れず、無心に振っていた。
それがプロに入って、自分の未熟さや周囲の期待がプレッシャーになり、一番大事なことを忘れていた気がする。

うん、そうだったね、ひいばあちゃん。
バットを振る時は迷ったり、いろいろ考えたりしちゃダメ。
女は度胸、野球も度胸だ。

大きく深呼吸すると、もう一度腕を伸ばしバットを構え、バッティングフォームに入る。
ぶるんっ!
振り抜くと、バットがまるで白刃のように空気を切り裂く。
そうだ。この感じだ。
忘れかけていた感覚を取り戻すように、何度も何度もバットを振り抜く。
振るたびにバットから力が身体に流れ込むかのような錯覚さえ覚えた。
バットを振る時はいつもフルスイング。
そのことをひいばあちゃんのバットに改めて心の中で約束した。

いつにない充実感でバットを振り、つい夢中になってしまった。
ふと鏡子さんを見るとなぜか目から涙が溢れてる。
「ど、どうしたんですか!?」
「ううん、何でも無いの。ただやっぱり私の目に狂いは無かったなって」
鏡子さんは泣き笑いのような表情でハンカチで涙を拭いた。
多分だけど、鏡子さんは私ではなく、私を通して遠い昔のひいばあちゃんの姿を見てたんじゃないかと思った。

「このバット、大事にします」
そう言いながらバットを布で丁寧にくるむ。
ひいばあちゃんと鏡子さんの大切な思い出の品というだけでなく、私の大事な記憶も呼び起こしてくれたバットだ。
試合には使えないけど、今度は私を守ってくれるような気がした。
「ええ、また試合見せてもらうわね」
「はい、ぜひ!」
そのときは今日の試合みたいな無様なバッティングは絶対に見せないぞ。
そして、私は最後に気になっていたことを尋ねてみることにした。
「そういえば、どうして私が巴おばあちゃんのひ孫だってわかったんですか。やっぱり桐子さんが?」
桐子さんが女子野球について調べているうちにひいばあちゃんに行き当たったのかと思ったのだけど、桐子さんは首を横に振った。
「綾梅さんのことを調べたのは確かに私よ。でもおばあちゃんに言われなかったらあなたが巴さんのひ孫だなんてわからなかったでしょうね」
「それじゃあどうして……?」
「おばあちゃんがね、テレビの中継であなたのバッティングを見たらしいの。それで、絶対間違い無いからあなたのことを調べてくれって頼まれたのよ。半信半疑だったけど、念のため調べてみたら本当に巴さんのひ孫さんだったんで私も驚いたわ」
「バッティングを見てって……、それだけでわかったんですか?」
そう尋ねると鏡子さんは、

「だって。私が巴お姉さまのこと、見間違えるわけ無いじゃない」

と微笑んだ。
その笑顔は、まるで年下の少女のようだった。

数日後、スポーツ新聞に女子プロ野球リーグ設立以来初のホームランが記録されたという記事が小さく掲載された。
ホームランを打った打者のバットに“こてつ”と刻まれていたかどうかについては記載は無い。

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