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2012年12月09日

箱舟漂流

プロレスリング・ノア両国国技館大会で小橋建太が現役引退を表明した。

また、小橋の引退同様先日からマスコミで報じられていた、秋山準、潮崎豪らのノアからの離脱も決定的となった。

プロレスファンになって十数年。全日末期からプロレスを観始めた俺にとって、プロレス=ノア、プロレス=三沢・小橋だったわけで、小橋の引退、秋山らの離脱は寂しい。

ただ、小橋の引退は覚悟していた部分もあるし、腎臓がんから復帰した後はもう小橋が好きなように残りのプロレス人生を過ごして欲しいと思っていたので、小橋が決めたことならその意志を尊重したい。
それに、どれだけ身体がボロボロになろうとも小橋がプロレスを続けたいなら応援するつもりだったけど、満身創痍の小橋の戦いぶりを観てきたから、正直安心した部分もある。

小橋はまだ最後の試合まで引退をしないとのことなので、小橋への想いはそのときに改めて語るとして、秋山たちの離脱とプロレスリング・ノアという団体について語りたいと思う。

今回の秋山たちの離脱によって、前々から噂されていたノアという団体の中の様々な問題が改めて浮き彫りになってしまった。
正直、もうノアという団体は崩壊したといってもいいと思う。
その原因は色々あるだろうけど、結局、言ってしまえば、ノアは三沢光晴の団体だったってことに尽きる。

かつての全日本が馬場商店だったように、ノアも三沢商店だった。馬場さんがいなくなって三沢たちが離脱したように、三沢さんがいなくなってこういう事態になったのは必然だったのかもしれない。
プロレスラーなんて我が強くなければやっていけない商売。三沢さんだからこそそういう選手をまとめられたし、選手たちも不平不満があっても我慢できたんだろう。かつて、馬場さんがそうだったように。

ノアが好調だった頃から、ノアの会社としての体制は批判されることが多かったし、俺も散々文句を言っていた。
会社組織としてしっかりしたものを作って入れれば、三沢さんがいなくなっても、今回のようなことは起きなかったかもしれない。
三沢さんは、リーダーであり、頼れる兄貴分ではあったんだけど、経営者では無かった。本当は社長なんかやるべきではなかった。
三沢さんが冷徹な経営者だったら、使えない選手やスタッフは切り捨てられた。でも、ノア旗揚げから自分を慕ってついてきた人間に対してそんな仕打ちはできなかったんだろうね。
新日本もかつては猪木商店だったけど、幸か不幸か猪木が団体を手放すことになり、ユークス、ブシロードと外からの血を入れることで、旧態依然とした体制を立て直すことが出来た。

三沢さんが亡くなったとき、本当は秋山が社長になるべきだったんだよ。水なんか売ってる場合じゃなかったんだよ。
もし実現していたらノアは生まれ変われてただろう。絶対に実現しなかったろうけどさ。
百田さんは小橋を社長に推していて、当時は小橋に社長までやらせるのは…、と賛成できなかったけど、今にして思えば、田上がお飾り社長をやるくらいだったら、その方がまだましだった。

それにしても、たった7年前だよ? 満員の大観衆を熱狂させた2回目の東京ドーム大会から、まだそれしか経っていない。
それなのに、三沢さんは逝き、あの頃の所属選手はすでに半分がいなくなり、ずっとノアを引っ張り続けてきた小橋と秋山までノアを去ろうとしている。

三沢さんが掲げた理想のプロレス、そしてそれを小橋が「建」てるための団体がノアだったとしたら、もう役割を終えたってことかもしれない。
KENTAや丸藤がいれば、ノアという団体は多分、存続することはできるだろう。ただ、今の新日や全日がかつてのそれとは違うように、三沢と小橋の築いたそれとは違うものになることだろう。

ノアに残った選手たちも、離脱する選手たちも、ずっと応援してきた選手だもん。これからも応援するよ。
だけど、私がノアという団体そのものを応援することは、もう無いかもしれないな。

ただ、ノアという団体がどうなったとしても、馬場さんから、三沢さん、小橋に受け継がれていった、プロレスの正道だけは選手それぞれが守り、伝えていってほしい。
あとは、ノアに残る選手も出ていく選手も、わだかまりを越えて、小橋建太のプロレスの花道をみんなで飾ってあげてほしい。
多分、天国の三沢さんも、ノアの行く末よりも、そちらの方を望んでるんじゃないかって思うから。

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