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2012年02月19日

『天使轟臨』 シャイニー日向 リアクション04

(パンサー理沙子デビュー15周年記念興行・特別試合終了後の選手控室)

「理宇ちゃん、今日はありがとうね~。さすがジュニアのチャンピオン、心強かったわ」
「私の方こそ、子供の頃テレビで観てたLUNA選手と一緒に試合ができて光栄でした!」
「子供の頃かあ。そうよねえ。私がおばさんになるわけだわ」
「あ、すいません。そんなつもりじゃ!」
「いーのいーの。ホントにおばさんなんだから。理沙子や京子ちゃんもこんな気分を味わってるのかしらね~」
「でも、本当に今日の試合はすごかったですよ。何年もブランクがあったなんて信じられないです」
「ん~、そう言ってくれるのは嬉しいけど、やっぱキツイわね。もう身体ガタガタ。一試合くらいなら誤魔化しきくけど、これが精一杯かな~」

「ところで理宇ちゃん、ウチの娘、どう?」
「日向さんですか? 基礎はもうできてますし、新人の中ではダントツだと思います。さすが月美さんとオリオン高崎選手の娘さんですね」
「まあね~。子供の頃はウチのジムが遊び場みたいなもんだったし、ダンナも練習バカだから調子に乗って鍛えたしね」
「ただ、やっぱり浮いちゃってますね。若手の娘たちや他の新人たちともあまり仲良くないみたいだし」
「やっぱね~。人付き合いとか苦手なのよねあの娘。要領よく立ちまわるとかできないし。
 ね、理宇ちゃん、ちょっとでいいからさあ、あの娘のこと気にかけてやってくんない? 別に贔屓しろとかじゃないんだけどさ、あの娘、意地っ張りなうえに不器用じゃない? 自分からドツボに突っ込んじゃうとこがあんのよね。
 親としてはあの娘の素質に期待してんのよ。もちろん本人の力が足りないんなら仕方ないけどさ、私達や理沙子のことで変なしがらみで潰れちゃったらもったいないかなーって」
「確かに私から見ても潰れさせるには惜しいですね。それにしても、日向さんのこと大切に思ってるんですね」
「んー、ま、これでも親だからね~。あ、このこと、日向にはナイショよ。またヘソ曲げるといけないから」
「ふふっ、わかりました。何ができるかわかりませんけど、お引き受けします」

◇◆◇ 0 ◇◆◇

西暦20X1年、夏――

渾然となって馳せ巡る数多の運命の輪は、まだ見ぬ未来へとただ一心に突き進む

歴史を人間が作るのか、人間がたどった轍それそのものが歴史なのか?

されど一度、四角いリングの魔性にとらわれたならば、もはや引き返すことは叶わぬのだ

少女たちの流す汗も、涙も、すべては闘いのキャンバスを彩る画材にすぎぬのであろうか――

◇◆◇ 1 ◇◆◇

 ▼ アメリカ オハイオ州リッチフィールド

「全世界のファンの皆様こんばんは。本日はオハイオ州から【IWWF】リッチフィールド大会の模様をお伝えします――」

リッチフィールド、ガンド・アリーナ。
一万人以上の観衆が集まり、熱気に包まれている。
IWWF――それはアメリカ、いや世界最大の女子プロレス団体である。
北米はもとより、世界150ヶ国でTV放送が行なわれており、その人気は他のメジャースポーツに劣らぬものがある。
昨年には、なぜか突然女子野球リーグ【XLB】を旗揚げ、世間を驚かせた。
もっともこちらは観客動員が伸び悩み、わずか1シーズンで打ち切られてしまったが。

「まだやってたら、わたしも試合に出して貰おうと思ってたのになぁ……」

バックステージにて残念そうに嘆いたのは《結城 千種》。
日本の【新日本女子プロレス】から遠征中の若手レスラーである。

「あ~ぁ、代打でいいから打席に立ちたかったな~~」
「……いくらなんでも、プロレスラーは出場出来ないでしょ」

冷静きわまるツッコミを入れたのは《武藤 めぐみ》。
千種同様、日本から遠征中の新女の選手である。
綺羅星のごとくレスラーが揃った新女の中でも、新時代のスター候補として期待の高い両名であった。

そんな話をしているのは、何も彼女たちが暇しているから、ではない。
彼女たちに与えられたギミック(キャラクター設定)が、この【XLB】がらみのものだからである。

――【XLB】が潰れて廃業した野球選手が、IWWFに恨みを晴らそうと殴りこんで来た。

という設定……らしい。
ちなみに常にバットやヘルメット、ベースなどを持参しており、最後はそれで相手を滅多打ちにしての反則負けがお約束。

「こういうの、野球に対して失礼じゃないかなぁ」

野球好きの千種などは釈然とせぬが、それがアメリカ風、というかIWWF風だというなら仕方はない。

「それを言うなら、覆面つけてる時点で野球と関係ないけどね……」

とはいうものの、なんだかんだでこの極悪ベースボールユニットは人気をはくしている。
そこはキャラ設定というより、めぐみと千種の技量のたまものであろう。
めぐみの卓越した飛び技、千種の切れ味するどいスープレックス(伝家の宝刀バックドロップは危険過ぎるとされ、ビッグマッチ以外では使用を禁止されたが)は、目の肥えたIWWFユニバース(ファン)すら魅了するに足るものであった。

「オフィスはそろそろ、ユーたちをフェイスターン(善玉転向)させようかと考えてるみたいね」

そう告げたのは《ザ・USA》。
日本語の堪能な覆面レスラーで、現在は故障のためもっぱらマネージャー役で立ち回っている。

「でもそれって、英語が出来ないとダメなんじゃないですか?」

IWWFではリング上やバックステージでのスキット(小芝居)も重要な要素ゆえ、英語力のないレスラーが出世するのは容易ではない。
その点、ベイスターズはヒールユニットであり、ザ・USAがマイクで仕切り、サイトーとダイマジンが試合で大暴れ……という仕様だったから、さほど問題はなかった。
が、ベビーフェイスとなったら、なかなかそうもいくまい。

「ちょっとやそっと英会話が出来る、ってくらいじゃダメみたいだしね……」

マイクパフォーマンスといえど、ヘタな映画やドラマよりも技量が求められる。
それもライブならば、何度もやり直すわけにもいかないときている。
付け焼刃ではお話にならないわけだ。

「でも、せっかく来た以上、トップに立ちたいよねっ」
「……あたしには無理よ。千種みたいに、うまくアピール出来ないし」
「え~? そんなことないと思うけどなぁ。めぐみだって、やれば出来るって」
「無理だってば。あたし、日本語のマイクだってうまく出来ないのに……」

などと言っている武藤めぐみが、のちに北米で怪奇派レスラーとして大ブレイクを果たそうとは、この時点では知りようもないことである。

「フムン。ま、USAのリングはIWWFだけじゃないし、他所を回ってみるのもいいかもねー」
「いいんですか? IWWFの人がそんなこと言って」
「USAは良くも悪くもドライだからねー。チャンスは誰かから与えて貰うものじゃなくて、自分で探して掴み取るものよ」
「…………」
「あるいは、気に入った団体がないのなら……自分たちで作っちゃう、って手もあるけど」
「そ、それは流石に……」
「そうかな? 今度のNJWPの遠征……ただのツアーにしては気合が入りすぎのようだけれど」
「…………」

新日本女子プロレスの“世界構想”の一つ……
それが北米横断ツアー【NJWP-USA】である。
現時点ではそれは、あくまで遠征に過ぎぬとされているけれど、

(新女のアメリカ支部を旗揚げしようということ……?)

そんな噂も、聞かないではない。
北米を拠点とする団体にとっては、看過出来ぬ事態であった。
それを自分たちにとって脅威と見なすか、ビジネスチャンスと見なすかは、団体によりけりであろう。
さしあたって、新女と提携しているIWWFは協力の構えだが、

(【WWCA】が突然ワールドに付いたのは、この件が一因かも知れない……)

北米ではIWWFに次ぐ勢力を持つWWCA。
往時の勢いはないとはいえ、まだまだ侮れぬ力を残している。
これまで新女と提携関係にあったが、つい先日、契約を延長せずに、日本の【ワールド女子プロレス】と手を結んだ。
ワールドはかつては新女と並び立つメジャー団体であったが、昨今は衰退覆い難く、いちローカル団体の一つとなっている。
あえてそこと提携したのは、それだけ新女の進出を脅威と感じたがゆえであろうか。

(海外に目をやっている間に、足元をすくわれないといいけど。……)

そんな心配も、海外に出て視野が広がったためであろうか。

ともあれ、何事もなしとはいかないようであった。
などと思案しているうちに、彼女たちの入場テーマが流れてきた。

「さァ、今日も行ってみようか、ベースボール・ガールズッッ!!」
「サーー・イエッサーーーッ、ボス!!」
「……あんたのノリの良さ、時々羨ましいわ」

『大ブーイングに迎えられて、“ブラック★ベースターズ”が入場です! あぁっ、客席にサインボールを投げ込んでいる! レスリングファンをベースボールファンに洗脳しようという、恐るべき悪の戦略~~~!!』

極悪ベースボール・スター軍団、『ブラック★ベースターズ』……
その活躍は、まだまだこれからであった。
(ちなみに千種は《サイ・トー》、めぐみは《ダイマ・ジン》というリングネームで活動しているが、それは本編にはさして関係がない)

 ▼ 日本 東京都某所 新日本女子プロレス道場

光が強ければ強いほど、影もまた濃くなるという。
華やかなスポットライトを浴びる者がいれば、そうでない者もまたいるのが世の常である。
所属レスラーの多い新女においては、その傾向はより一層、強い。

地味なジョバー(引き立て役)ですら、その競争率は極めて高い。
他団体ならばメインイベンターも務まるであろう人材でも、リングに上がることすら出来ぬことすらあるのだ。

《斉藤 彰子》などは、その典型であろう。
元・空手王者の肩書きをもってプロレス入りした彼女も、現在では一介の中堅レスラー。
なまじプロレスに馴染んだためか、打撃以外に売りのない、パッとしない地味選手という位置。
いまやカードを組まれることもまれだが、他団体への流出を嫌ってか、リリース(解雇)はされていない。
早い話が、飼い殺し状態である。

(私は、こんなものではない……っ)

そんな忸怩たる思いはある。
が、いったん根を下ろしてしまった状態から再び飛び出すのは、容易なことではない。
この時期の斉藤が精彩を欠いていたのは、まぎれもない事実であったろう。
そんな彼女を横目に見つつ、

(あぁはなりたくないな)

と思っていた《越後 しのぶ》。
しかし気づけば、彼女も似たような境遇に落ち着きつつあるのだった。
斉藤と異なるのは、寮長として若手を仕切っていたり、コーチとしての腕も買われているという点で、それはそれでやりがいのあることだった。
が、いちレスラーとしては不遇な立場には間違いない。

会社からは、イメージチェンジとしてヒールターン(悪役転向)を奨められたこともあるが、

――あんな茶番がやれるものか。

と、歯牙にもかけなかった。

(……いや、違う)

他者には強がりを言えても、己を偽ることは出来ない。

(私に、つとまるはずがない)

そう感じている、というのが正しい。
長年リングに上がっていれば、ヒールという立場の難しさは否応なく分かる。
インテリジェンスがなければ、ヒールなど出来るものではないのだ。
彼女は己の器用さ加減を知っていた。
ただ暴れるだけなら、誰にでも出来る。
だがヒールは客をヒートさせながらも、嫌悪感を抱かせてはならぬ。
興奮させても、拒絶させ、客足を遠ざけてはならない。
この頃合を見極めるのは、ただならないことである。
それが出来るのは、よほどの利口者であるか、よほどに――
プロレスに真摯に打ち込んでいる者、だけであろう。

◇◆◇ 2 ◇◆◇

にわかに騒がしい新女道場。
ひとつには、アメリカ遠征のメンバーが発表されたこともある。
メインイベンター級の選手はともかく、中堅以下の選手たちにとっては、発表まではやきもきする期間であった。
そして発表されたメンバーは、おおむね予想にたがわぬものであったが、いくらかは『あるべき名』がなかったり、その逆もまだしかり。
前者の代表としては、《パンサー理沙子》が挙げられよう。
その知名度は海外でも相当なものであり、本来なら外れるはずのない名であった。
が、今は何かと忙しい体、やむをえないのかも知れぬ。
さて、しからば後者――『あるはずのない名』も、いくつかはある。
その筆頭は、やはり
〈高崎 日向〉
であろう。

何しろ、いまだデビューさえしていないのである。
されば単なる雑用係、荷物持ち? いやいや……

「おーやおや。海外デビューが決定のミラクル新星さんが美沙のような取るに足らぬ庶民に何か御用なのですか何なのですか?」

相部屋の先輩《天神 美沙》の物言いは、けっして的外れとはいえまい。

でも、もう――

(……逃げたりはしない)

そう覚悟するほかはなかった。

(あんな、大見得切っちゃ……帰れっこないもん)

 ▼ 日本 東京都 日本武闘館バックステージ(回想)

先日のエキシビジョン戦の直後……
疲労困憊で控え室に戻った日向を出迎えたのは、いつになく厳しい母の顔だった。
てっきり、ねぎらってくれるものと思っていたのに。

「全然、ダメだったわねぇ~。あんた、道場で何やってたの?」
「…………っ」
「そんなんじゃ、何年やっても永遠の若手どまりね~。あ、それはそれでオイシイかもだけど」

いくら何でも、過酷すぎる物言いではあったろう。
なおも容赦なくダメ出しされた日向がトサカにきて、

――別に、プロレスが好きだからやってるわけじゃない。
――たまたま、一番向いてそうだったからやってるだけ。
――でも一度始めた以上は、私はトップを取るまではやめない。
――母さんと違って、途中で投げ出したりなんかしない。

などと、啖呵を切ってしまったのも是非はない。
娘の宣言を聞き終えた母は――自分の出番が迫っていたこともあるが――無言で控え室を去った。
以来、何の連絡もよこさない。

(……どうせ、できっこないって思ってるんだっ)

そんな母への反発心が、彼女の心の炎に薪をくべていたことは否定できない。
母の真意を彼女が知ることになるのは、もっとずっと後のことである。

 ▼ 日本 東京都某所 新日本女子プロレス道場

(……それにしても)

エキシビジョンといえば、その相手となった
〈鏑木 かがり〉
は、今や数少ない同期であり、従来はべつだん何の障碍もなかったのだけれど、

(……嫌われてる気がする)

あの日以来、明らかに敵意を抱かれている気がしてならない。
ラフファイトを仕掛けられた側の日向がそういう気持ちを抱くなら、まだ分かるけれど。

「毛も生え揃わねェヒヨッコが、会社(ひと)のお銭(あし)でメリケン旅行たァ、とんだ気楽な御身分で――」
「…………っ!!」

ある日浴びせられたそれはもう、皮肉というより、喧嘩売りの口上そのものであろう。
たまたま《辻 香澄》らが居合わせなければ、大立ち回りになっていたかも知れぬ。

「あんなこと言うようなタイプじゃないんだけどねぇ」

とは、《小縞 聡美》の鏑木評である。
彼女は鏑木とは相部屋であるから、少なからずひととなりは分かっているのであろう。

「まぁ、同期だもん。ライバル心があるのは仕方ないよ」
「………………」

ライバル――ライバルなのだろうか。

さて、捨てる神あれば――というのではないが、新しい関係もある。

「高崎! ちょっとつきあってよ」
「はっ! はい……っ」

とスパーリングを誘ってきたのは、ジュニア王者の《菊池 理宇》であった。
菊池は辻よりはチト上背があるが、それでも日向よりはだいぶ小柄である。
にもかかわらず、リング上では手も足も出ない。
パワー、テクニック、スピード……いずれもまるで段違いであった。
しかしそれも、中・軽量級では国内最強とうたわれる――彼女に比肩しうるのは東女の《ソニックキャット》のみかも知れない――菊池理宇であれば、是非もなかろう。

菊池のスパーリング指名は、しかしその日だけでなく、連日続いた。
実質、菊池のスパーリングパートナーに選ばれたに等しい。
稽古としては願ってもないことであるけれども、

「う~、理宇せんぱい、ひなっちとばっかり! ずるい~~」

などと、ジュニアの若手選手《榎本 綾》などからやっかまれるのは道理であった。
これ以上、周囲から浮くのは……と案じた日向は、ひそかに菊池に指名せぬよう頼んだ。

「ふ~ん。まぁ、無理強いはしないけどね」

気を悪くしたふうもなく言いながらも、

「でもさ、強くなりたいんでしょ? それとも、そんな気はないの?」
「……っ、それは……」

そんなのは、決まっていた。

「ずいぶん理宇に可愛がられてるみたいやねぇ~?」

あるとき、そんな風に近づいてきたのは《藤島 瞳》。
菊池とは同期のアイドルレスラーで、道場より歌や踊りのスタジオ通いが多いほど。

「鍛えるのはええけど、あんまり筋肉つけたらあかんよ」
「はっ、はぁ……でも……」
「誰がゴッツイ筋肉ダルマみたいな女子レスラー観たいと思う? そんなんは、どっかのボンバーさんみたいなタイプにまかしといたらええんよ。うちらみたいなキレイドコロは、よう考えんとねぇ」
「は、はぁ……」
「おい藤島ァ。久しぶりにチョイと揉んでやろうか?」と、これはくだんのボンバー氏。
「おお、怖っ。聞こえとるし。ま、あんたももうじきデビューなんやし、先のことも考えとかんとねぇ」
「瞳、若いコをたぶらかすのはやめなよ」
「ぶ~、そんなん違いますぅ~~~」
「………………」

確かに、デビューの時期は迫っているらしい。
が、その前に乗り越えねばならぬ難関があった。

大方の女子プロレス団体においては、入団テストとは別に『プロテスト』が存在する。
これに合格した者だけが、ようやくただの『練習生』から『プロレスラー』に立場が変わるわけだ。
新女の場合、プロテストの内容はスパーリングのみ。
基礎的な運動能力を試す団体もあるが、新女一流のハードなトレーニングにここまで耐えて来た時点で、もはやその点は審査無用と判断されるのであろう。

流石に緊張しないでもなかったが、日向は格別の波乱もなく、合格を勝ち取った。

ところで、このプロテスト中には椿事が起きている。
テストが終わった直後、突然道場へと乱入者が現れたのだ。
もっともこれは名もない格闘家とか、押し売り練習生といった類ではない。

「――ミミさん、お久しぶり」

気さくに微笑んで見せたのは、【JWI】の《南 利美》。
かつて新女に属していたが離脱、今や国内トップ選手へ上り詰めたグラップラーである。

「………………」

余裕しゃくしゃくの南に対し、その横で顔を強張らせているのは、彼女の付け人であろうか。

「あら。……元気そうね、利美ちゃん。変わった所で会うわね」

悠揚迫らぬ風情で返す吉原だが、もとよりその目は笑っていない。

「何か御用かしら?」
「例の『挑戦者決定戦』の返事、詳しく聞かせて貰いたくてね。……祐希子は?」
「チャンピオンなら、もう太平洋の上でしょうね」
「あら、残念。……」

大げさに首をすくめてみせる。

「ま、せっかく里帰りしてきたんだし、ちょっと稽古をつけて貰おうかしら」

その後、南は名乗りを上げた《斉藤 彰子》に対して付け人らしき女性(〈水上 美雨〉)を立ち合わせた。
これを破った斉藤だが、南には一瞬の早業であえなく仕留められた。
かつて空手家時代の斉藤が道場破りを仕掛けてきた時、南が迎え撃って不覚を取ったことがある。
さしづめ、数年来の意趣返しといったところ。
かくして南は、『出稽古』を済ませて立ち去った。
まことに、『新女の血』は濃すぎるというほかない。

 ▼ 日本 東京都 有明スポーツアリーナ

さて、月日は容赦なく過ぎる。
初のアメリカ横断ツアーを前に、新女はロイヤルランブル戦
「紫陽花~Hydrangea -Angel Rumble-」
をおこなった。
会場は2万人もの観客を集める
『有明スポーツアリーナ』
であり、他団体なら年に一度のビッグマッチという規模。
が、新女にとっては月イチのPPV放送用(ペイ・パー・ビュー、有料放送)の一つである。
新女の人気思うべし。
メインは当然、20人以上の選手が参加するロイヤルランブル戦(時間差入場制のバトルロイヤル)だが、その直前――さしづめセミファイナルに組まれたのが、

『高崎日向デビュー戦』

であった。

新人のデビュー戦といったら、大抵は第一試合などの前座であることを考えれば、破格という他はない。
そのカードも、やはり特別と言わねばならないだろう。

◆◆ 高崎日向デビュー戦 ◆◆

 〈高崎 日向〉 & 《ラッキー内田》

 VS

 《菊池 理宇》 & 《藤島 瞳》


「…………!」

カードを知らされた時、日向は思わず絶句した。
それも無理はなかろう。
パートナーの内田は、現・タッグ王者であり、ヘビー級タイトルのトップコンテンダー(挑戦者候補)の一角である。
対戦相手にしても、ジュニア王者の菊池はもとより、アイドルレスラーとして絶大な支持を受けている――そのレスリング技術も、決して侮れるものではない――藤島。
いささか度が過ぎるのではないか、と思えるほどの売り出し具合であった。

「よくもこんな『子守り』を引き受けたもんだなァ」

カード発表後、内田の相棒《マッキー上戸》は呆れたように感心したように言ったものである。

「仕事よ、仕事。それに、あの子とは縁もあるしね」

入団テストの際、日向のスパーリング相手をつとめたのが他ならぬ内田であった。

「会社は『金の卵』として大事にしたいみたいだし……だったら、一肌脱ぐくらいはね」
「ふぅん……」

ガラにもなく殊勝だな……と思った上戸であったが、くだんの試合後のランブル戦において、最後の最後になって内田の入場曲が流れてきた時には、

「……そういうことかよっっ!」

と合点し、見事優勝をかっさらい、タイトル挑戦権を獲得した彼女の深謀に舌を巻いたことであった。

閑話休題。
さて試合の方はといえば、さすがはタッグ名人の内田、アップアップ状態の日向を巧みに引き回し、きっちり試合を成立させて見せた。
最後は藤島の『不知火・雅』に沈んだ日向だが、まずは合格点のデビュー戦だったと言えよう。

 ×日向 VS 藤島○
 (14分09秒:不知火・雅→体固め)


試合後、日向の健闘を称えた藤島はさっそく、彼女を己のアイドルユニット『ハニー☆トラップ』へ勧誘した。
もっとも、ヘロヘロの日向は返事も出来ず、この件はひとまず保留となったのであったけれど。


◇◆◇ 3 ◇◆◇

 ▼ アメリカ ミズーリ州 LWWジム

さてその後、新女本隊は北米横断ツアー【NJWP-USA】へ出発。
全米各地を転戦していった。

そんな中、ここミズーリ州にあるローカル団体・【LWW】の道場では、レスリングキャンプが開催されている。
北米のみならず世界中から集まったレスラーや候補生が汗を流し、そのアピール次第では、IWWFを始めとするリングに上がることが出来るのだ。
IWWFはもとより他団体からもコーチやエージェントが訪れ、金の卵を物色している。
そのコーチ陣の中に、アメリカ横断ツアーから一時離脱した《ミミ吉原》の姿がある。
人材の確保はいかなる時も欠かせぬ要素であり、まして、

(海外進出を考えるなら、なおのことね)

【NJWP-USA】を団体として起こすというのなら、自前の選手を揃えねばなるまい。
吉原からすると、現時点での海外進出・団体旗揚げは、
――時期尚早
としか思えないが、会社の方針には最大限従うつもりである。
従えないというなら、離れる他はない。
不満や疑問はあれど、組織に属するからには、そこで最善のパフォーマンスを尽くすのが、吉原のスタイルというべきものであった。

そんな吉原の視線の先に、日本人レスラーの姿がある。
他でもない、先日デビューを果たしたばかりの、高崎日向その人。
デビューしたとはいえ、まだまだ素人に毛が生えた程度に過ぎない。
実戦経験を積むのも重要だが、違った環境でみっちりと鍛えてみたい――という気持ちから、吉原のキャンプへ同行を願ったのである。

他の選手に混じるとやや小柄ではあるが、動きのキレや柔軟性は負けていない。
英語は出来ぬとはいえ、なに、そこはプロレスは肉体言語。
共に汗を流すことで、次第に周囲と打ち解けていくことができた。
言ってみれば商売敵たちとはいえ、目標を同じくするライバル同士。
最初は

「な、ナイススープレックス!」

くらいしか言えなかったが、次第に意思の疎通が出来るようになっていった。
日本と違い、何も考えずにひたすらレスラーの卵たちとトレーニングに励み、切磋琢磨できるひとときは、日向にとって、久々に無心になれた時間であったろう。

「居心地がいいなら、ここに置いていってあげましょうか?」

という吉原の言葉は、果たして冗談であったか、どうか。

さて、ツアー最終戦の行なわれるニューヨークへ向かうため、吉原と共に道場を離れる日がやってきた。
挨拶に訪れた日向に歩み寄り、握手を求めるレスラーや練習生たち
その中でも、ひときわ固い握手とハグを交わした女性が一人。
恵まれた肉体を持ちながらも、日夜辛そうに練習する姿が印象的だった彼女。
しかし日向がスパーリングの相手だと、なまじろくに会話が出来ないのが功を奏したか、心置きなくレスリングに熱中できたと見える。
のちに知った所では、彼女もまた大きな期待をかけられ、それに応えようと無理を重ねていたらしい。
日向とは、似た境遇でもあったわけだ。
いつの日か、リングの上での再会を誓い、2人は別れた。
彼女の名は、《ジェナ・メガライト》。
のちに『スープレックス・モンスター』と称される次代の大物――その若き日の姿であった。

 ▼ アメリカ ニューヨーク州 マジソンスクエアガーデン

【NJWP-USA】のアメリカ横断ツアー、最終戦。
その会場は、ニューヨーク、マジソンスクエアガーデン――
アメリカの、いや世界の格闘技の殿堂ともいうべき聖地中の聖地である。
日本人でこのリングに上がれたのは、ごく一握りであろう。
もとより、彼女の父母もここには上がっていない。
(のちに、記念撮影した写真を送ったら、父はひどく羨ましがっていたものだった)

流石にと言うべきか、日向のカードは正式には組まれていなかった。
が、ダークマッチでリングに上がるチャンスを与えられた。
対戦相手は《エレナ・ライアン》、IWWFの若手ファイターである。
この大会は実質IWWFとの合同興行であった。

「先頭バッターなんだから、塁に出てねっ」
「はっ、はい……?」

独特の言い回しで激励したのは、IWWFに遠征中の結城千種である。

「相手はキャリアは浅いけど、打撃にキレがあるわ。気をつけなさい」
「あ、ありがとうございます……っ」

真っ当なアドバイスをしたのは武藤めぐみの方。

「おやおや、ちょっとは先輩面がサマになってきたみたいだなァ」

と結城らをからかったのはボンバー来島。

「良かったですね、来島さん。日本に残ってたら、酷い目に遭ってたんじゃないですか」

さらっと失礼なことを言う武藤である。

「はぁ? ……あぁ、利美の件か。ったく、アイツらはホント人騒がせだよなぁ」

コケにされて黙っているほど、新女は甘くはない。
いずれ、報復の時が訪れよう。
その時は、自分も起たなければいけないのかも知れない……と思う日向であった。

「あぁ、そういや、あのキズッ面……優勝したんだとさ」
「……っ」

キズッ面……鏑木かがり。
【ワールド女子プロレス】で開催された『ニューフェイスカップトーナメント』なる新人選手によるトーナメント戦に出場、優勝してみせたというのだ。
日向も出場したい気持ちはあったのだが、アメリカ遠征と日程がかぶっていたこともあり、断念したのだった。

「ま、ヨソのへなちょこどもに勝った所で大した自慢にゃならんが――」

会社のプッシュではなく、自分の手で掴み取った『成果』。
その価値は、決して、低いものではない。

「うかうかしてられないってことさ」

意味深に笑ってみせる来島。
言われずとも、日向にとっても自明のことであった……

さて、ライアンとの一戦。
日向は終始攻勢に回り、スリーパーでさんざ絞め上げた後、最後はジャーマンスープレックス一閃!
見事、シングル初勝利を掴み取った。
これも、キャンプで鍛えた成果であったろう。

 ○日向 VS ライアン×
 (7分59秒:ジャーマンスープレックス)


「初勝利、おめでとう」
「あ……っ!?」

控え室で日向を出迎えたのは、思わぬ顔であった。
遠征には帯同しなかった《パンサー理沙子》である。

「ど、どうして、ここに……?」
「フフッ。色々とね」
「っ、あ、あの、私――」

単身アメリカに渡ったと聞いて、気にしてはいたのだけれど。

「ごめんなさい、そろそろ出番だから、行ってくるわ。また後でね」
「え、あ……」

スーツ姿のまま、バックステージを出る理沙子。
会場内に彼女のテーマ曲が鳴り響くと、場内からは大歓声があがった。
流石に女帝、ジャパニーズレジェンドの名は伊達ではないという所であろうか。
さてリングに上がった理沙子は、流暢な英語で上品に挨拶してみせていたが、一転、

『USA ×UCKS!!』

というような罵倒を始めて客席を煽り、大ブーイングを招いてみせた。
これに呼応して日本人選手がリングに上がり、気炎を上げる。
更にそこへIWWF勢が現れ、何やら舌戦を展開、大乱闘に展開していった。

「え、ええっ? 何、これ……??」

モニターを見ながら、目を白黒させる日向。
いったい、何が起きているのか?

「つまりは、こういうコト」

と紐解きをしてくれたのは、マネージャー役の《ザ・USA》である。

「IWWFのマット上で、新女軍団――すなわち【NJWP-USA】派閥を作って、IWWF軍と対立ストーリーを展開しようってワケ」
「は……ぁ」

唖然とする日向。

「じゃあ、あれは全部、お芝居……?」
「もちろんストーリーに乗っ取った展開だけど……半ば本気だよ。ジャパン軍団の人気が出れば、それだけ他の選手の食い扶持が減るわけだからね」
「はぁぁ…………」

初勝利の余韻もどこへやら、頭がクラクラしてくる日向であった。

――もっともこの日、彼女にとって最大のインパクトを与えたのは、メインイベント。

『“Japaneeeese Goddess!!” Mighty-Yukiko!!』

――――OHHHHHHHHHHHHHHH!!!!

騒然となっていた場内が、一斉に沸き返る――

花道に立ち、腕を突き上げるだけで、地鳴りさながらの歓声を引き起こす。

――“炎の女帝”《マイティ祐希子》。

(……っ、やっぱり……凄い……っ)

その肉体、その存在のみで、言葉の通じぬ人々をすら熱狂させ総立ちにさせる、この力――
今の日向にとっては、目もくらむような高みにある、その姿。
果たしていつか、あの域に届くことがあるのだろうか……?

目の回るような事態は、それで終わりではなかった。
ただでさえ、長い遠征から帰国してみると、新女を取り巻く情勢は一変している。

八島の離脱と、ヒール軍団『夜叉紅蓮』の壊滅。
それに代わる革命軍団『ジャッジメント・セブン』の台頭。
そして、〈フランケン鏑木〉――鏑木かがりの出世。

中でも、日向にとって最大の衝撃は……

(理沙子さん……!?)

パンサー理沙子が、新女からの『卒業』を宣言したことであったろう。
【Panther Gym】――それが、彼女の新たなる所属先。

「――ここで若手を育てて、新女に恩返しをしたいと思います」

記者会見で話す理沙子の表情には、さまざまな想いが交錯しているように思えてならない。
彼女は否定したが、新女の選手が追従し“新団体旗揚げ”に向かうという噂には、真実味がある。

またもや大量離脱・分裂劇が繰り広げられるのか?
新女は不穏なスキャンダルの火種を抱えたまま、新たな局面に向かいつつあった……

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