「入ってくれるなら嬉しいけど、ホント、無理しなくていいよ。他の小さい団体の方が、気楽にやれるかも知れないしね」
香澄の言葉を受けて日向は考える。
なぜ自分が合格したのかはわからない。あの乱入してきた娘はもちろん、他のテスト生と比べても取り立てていいところがあったとは我ながら思えない。
だとしたら、やっぱり自分の持ってる<<人脈>>、いうなればコネが大きく作用した結果なのかもしれない。
そんなアンフェアな結果、やはり辞退するべきなんだろうか。
でも…。
ここで逃げていいの?
新女に入ろうが入るまいが、どうやったって両親の名前はついてくる。
両親のことを出されるたびに逃げていくの? これからずっと?
そんなのはまっぴらごめんだ。
逃げられないのなら、立ち向かってやる。
そして立ち向かうのならば、新女という自分と最も関わりの深い団体で挑むべきじゃないだろうか。
「ありがとう、香澄ちゃん。でも、私、逃げないよ。新女に入る」
「ん、そっか。歓迎するよ。ようこそ、新女へ」
「うん、でもその前にひとつだけ確かめたいことがあるんだ」
あの人に、確かめなくてはいけない…。
◇◆◇ 0 ◇◆◇
西暦20X1年4月――
日本の女子プロレス界は、新たなうねりの中に飲み込まれつつあった。
――それは自然の流れ?
――あるいは何者かの意志?
そんな大きな渦とは関係なく……
それぞれの想いを胸に、それぞれのやりかたでプロレス界という荒波に飛び込んだ少女たち。
彼女たちの行方はいかに――
◇◆◇ 1 ◇◆◇
国内最大の女子プロレス団体【新日本女子プロレス】が都内に構える自社ビル、その一室――
「相変わらず、面白い方ね。埼玉のお嬢様は」
微笑しながら、目を通していたプロレス雑誌をテーブルに置いたのは、優美な雰囲気をたたえたスーツ姿の女性である。
「笑い事じゃありませんよ」
対照的に、雄偉な体格でラフな格好の女性が、これは苦笑いを浮かべる。
「あら、ご機嫌斜めなの? 自分が招待されなかったからって」
「まさか。こんなの、俺のガラじゃありませんし」
「ご謙遜ね。天下のミス・ビッグバンが」
「やめて下さいよ。背中がかゆくなる」
ミス・ビッグバンこと《ボンバー来島》。
新日本女子プロレスを支えるスター選手の一人である。
国内有数のパワーファイターであり、新女のブランドの一つ“Wrestlers”ではトップを張っている。
雑誌の見出しを飾っているのは、
『賞金“市”兆円!! 空前のトーナメント開催』
という派手な文句である。
(……南のしかめっ面が目に浮かぶぜ)
来島は、昔馴染みの顔を思い出していた。
ライバル団体【JWI】がぶち上げた“一兆円トーナメント構想”。
各プロレス団体のエース選手に招待状を(一方的に)送りつけ、優勝を争わせようというのだ。
その賞金が一兆円だと言うのだが……
「それがあくまで“副賞”というのがふるっているわね」
「……ま、アイツらしいですけど」
トーナメント優勝者に与えられるのは、正確には
“《ビューティ市ヶ谷》への挑戦権”
であり、一兆円はその副賞に過ぎない、というのだ。
よくよく人を食った話といわねばならない。
「なんなら、復帰してお灸をすえてやったらどうです」
「ふふふ、まさか」
穏やかな笑みをたやさぬこの女性、一見は良家の令嬢としか見えぬが、かつては来島や市ヶ谷としのぎを削ったパワーレスラー、《伊集院 光》。
今は一線を退き、伊集院グループの一翼を担いつつ、新女の相談役として参画している。
「祐希子さんはどうするのかしら」
「どうもこうも、会社が許さないでしょうに?」
JWIが(というか市ヶ谷が)新女代表として指名してきたのは《マイティ祐希子》。
実力・人気とも隔絶した、新女の……いや、日本プロレス界の絶対的なエースである。
不倶戴天の宿敵同士である祐希子と市ヶ谷だが、今となっては、そのリング上での再会は容易ではなかろう。
「まぁ、そうでしょうね。じゃ、黙殺するということ?」
「それはないでしょう。売られた喧嘩は買うってのが、新女イズムってヤツですから」
祐希子は出さぬが、他の実力者を派遣する、と発表することは大いにありうる。
それをJWIが承諾するかどうかは、向こうの勝手だ。
「……それより、こっちの方がよっぽど厄介なんじゃないですかね」
と来島が指したのは、スポーツ新聞の裏面に躍る見出し――
『反新女同盟結成!? 東女が図る女子プロ界下克上!!』
【東京女子プロレス】が提案し、【WARS】や【ワールド女子プロレス】らが賛意を示していると言われる、女子プロレス界における統一コミッション設立計画……通称【GPWWA】構想。
「……東京女子さんも、相変わらず食えないわね」
「ストレートじゃないだけに、やりづらいっすね」
プロレス界全体を統括するコミッションの設立……
それだけ聞けば、なかなか結構な話に聞こえる。
しかし、新女は独自にコミッショナーを認定しており、東女の提案はそれを無視したものである。
“反新女同盟”……という物言いも、まんざら的外れとは言えぬであろう。
人気面では新女に次ぐといっていい【東京女子プロレス】。
今はまだ大きな差があるが、他団体との連携を強めていけば、いずれは新女を脅かす侮れない勢力となりうるかも知れぬ。
会社は何か手を打つのであろうか?
「さぁ、どうかしらね。私の所には、何も」
(……どうだか)
伊集院のたおやかな笑みに隠された真意は、来島の知る所ではない。
「こちらが手を下さなくても、勝手に倒れてしまうかも知れないものね。【X★ドリーム】のように」
「ありましたねぇ、そんなのも」
【X★ドリーム】(エックス・ドリーム)はかつて存在したプロレス団体。
いや厳密に言えば、イベント名と言うべきであろうか。
自前の道場や選手を抱えず、フリーランスを中心に興行を行い、従来のプロレスの枠を超え、いわゆるエクストリームスポーツの一種として受け容れられ、過激なファイトスタイルで一世を風靡した。
マット界からは異端視されつつも、その勢いはただならぬものがあった……が、2年ともたず、分裂と離脱の末に消滅した。
当然参戦選手たちはバラバラになったが、その残党が何とかという団体を旗揚げしたとかしないとか。
(自然消滅だったかどうか)
かの団体を脅威とみなした新女フロントが、手を打ったことは大いに考えられる。
X★ドリームのトップとして君臨していた《八島 静香》が、団体崩壊後、新女に復帰しているのは、ただの偶然であろうか?
(……ま、いろいろあるってことだな)
来島は深く考えるのをやめた。
百鬼夜行のプロレス界、まして新女となると、これは折り紙つきの伏魔殿である。
そこで生き残る秘訣は、とことん考え尽くして立ち回るか、何も考えず感性のままに動くか、そのいずれかであろう。
(この間の会見も、ひと悶着あったしなァ)
来島は、先日行われた《パンサー理沙子》の15周年記念興行に関する記者会見での出来事を思い出していた……
◇◆◇ 2 ◇◆◇
新女の道場。
多数のレスラーたちが練習に励んでいる。
ひときわ大声を張り上げながら汗を流しているのは、練習生たち。
その中でも、とりわけ動きにキレがある少女がいる。
〈高崎 日向〉。
「いいなぁ、あの子」
練習の合間に、思わずそうつぶやいたのは《菊池 理宇》。
新女のジュニア王者である。
「ははぁん。菊池センパイのおめがねにかないました?」
合いの手を入れたのは《藤島 瞳》。
菊池とは同期だが、実力より人気で身を立てるアイドルレスラーである。
「そんな大した話じゃないけど……練習生の中じゃ、一歩抜けてるかな」
「ははぁ。さすがは理沙子はんの秘蔵っ子って所やんね」
「もう瞳より強いんじゃない?」
「……理宇も言うようになったやないの」
ひいき目抜きに、日向の動きはいい。
両親がレスラーだったというだけあって、天分というのもあるのだろう。
(いい素材だと思うけれど……)
早くも新女一流の荒波に呑まれている姿は、気の毒ではある。
「とりあえず話題性はピカイチやし、うっとこにスカウトしとこっかな~」
「……アイドルってガラじゃないと思うけどなぁ」
《キューティー金井》が率いるアイドルレスラーユニット『みるきぃ★レモン』。
そのライバルユニットとして藤島瞳が立ち上げたのが、『ハニー・トラップ』。
問題は、いまだ藤島以外メンバーが不在ということであろう。
「ま、流石にデビュー前じゃどうもならんし……他所の団体に探しに行ってみよっかな~~」
「…………」
他団体もいい迷惑だな、と菊池理宇は思った。
◇
「……はぁ、ふぅ……っ」
掃除や洗濯などの雑用を終え、ようやく寮の部屋に戻る日向。
「おやおや。期待の超新星のお帰りなのです」
これは同室の先輩である《天神 美沙》。
二段ベッドの上段から見下ろしながら、ジト目を向けている。
「……すみません、遅くなりました」
「別にいいのです。会社からチョー期待されているチョー新星さんに、美沙のような一介の若手ごときがどうこう言える筋合いなど一切合切ありゃしないのです」
「…………」
嫌味ったらしい美沙の言葉を浴びつつ、ベッドに転がり込む。
(あんなことさえ、なければ……)
先日の出来事を思い出す……
◇
《パンサー理沙子》。
押しも押されぬ新女の重鎮である。
日向とは遠縁の親戚であり、昔からの顔なじみであった。
新人入団テストで合格を果たした日向であるが、そこには理沙子の働きかけがあったのではないか? という疑問がぬぐえなかった。
――聞いてみよう。
理沙子に直に確認してみたい……
と思った日向であったが、以前はともかく、スター選手と新弟子の立場では接触もままならない。
しかしある日、ふいに彼女の方から呼び出しがあった。
「頑張っているみたいね」
呼び出された先は、新女オフィスの応接室。
キッチリと一分のスキなくスーツ姿に身を固めた理沙子は、年齢以上に大人びて見えた。
「っ、それより……」
気後れしながらも、理沙子の真意を問う日向。
自分を合格させたのは、縁故だけなのか?
「もちろん、実力を買ったに決まっているじゃない。後は、将来性ね」
と微笑む理沙子。
「………………」
しかし釈然としない日向。
「納得できないのなら、今からでも他所に行ったらどう?」
「……っ」
「元・新女ということなら、それなりにハクはつくかも知れないわよ」
「…………っ、私、やめないよ」
新女でがんばると決めた以上、他所に行くことなど思いもよらぬ。
「……そう」
苦笑を浮かべる理沙子。
「言っておくけれど……苦労は、多いわよ?」
「…………」
無言でうなずく日向。
この先、どんな生き方をしようと、苦労からは逃れられない。
だったら、自分から突き進んでやる。
「さて、それじゃ、行きましょうか」
「……え?」
最初の大きな『苦労』が日向を待ち受けていた――
◇
「………………」
パシャッ! パシャ……パシャパシャ……
無数のフラッシュの洪水の中で、日向は茫然としていた。
パンサー理沙子、デビュー15周年記念興行の記者会見。
理沙子以外にも、新女のスター・ボンバー来島や、太平洋女子のブレード上原など、そうそうたる面々が席を連ねている。
その華々しい席に、なぜかちょこんと同席させられている日向。
(な、なん、で……??)
理沙子や他の選手が大会への意気込みなどを語っているが、てんで耳に入らない。
「――さて、今回の興行のテーマは、パンサー理沙子の過去、そして未来です」
「――未来の象徴として、彼女に参戦してもらうことにしました」
「高崎日向――私の親戚であり、《オリオン高崎》選手と《LUNA》選手の娘です」
「…………っ」
ひときわフラッシュの勢いが強まる。
「彼女には、第0試合でエキジビジョンマッチを闘って貰います」
「な……っ!?」
どさくさにまぎれて、何てことを!
しかしとても、口に出来る雰囲気ではない。
「そして、彼女が未来の象徴だとすれば、過去の象徴として――」
「…………!!!」
「どうも~~~~、元気にしてた、日向?」
「な……ぁ……」
久しぶりに見る母の姿に、絶句する。
「――LUNA選手が、一夜限りのカムバックを果たしてくれることとなりました」
「…………!!!!」
日向が直面する『苦労』は、予想をはるかにに超えたものであった……
◇◆◇ 3 ◇◆◇
(……あの会見以来……)
周囲の選手やスタッフの態度が微妙に違っている。
腫れ物に触るような扱いというか……何かと距離を取ってくる感じが、いたたまれなかった。
辻にも彼女の立場があるので、そうそう頼ってばかりはいられない。
美沙のように嫌味でも言ってくれるのはまだマシな方であって、あの微妙な視線はかなり辛いものがある。
(……浮いているっていえば)
同じ練習生の〈鏑木 かがり〉。
入団テストに乱入して、合格をもぎ取った剛の者。
練習中、時おり目が合うが、言葉を交わすことは滅多にない。
実力はかなりのもののはずの彼女だが、現状ではまともな練習をさせて貰っていなかった。
来る日も来る日も、練習生や若手の『投げられ役』をつとめていた。
それでも不平一つ顔に出さず、黙々と受け身を取り続けている。
彼女も周囲から浮いているが、それは日向のそれとは異質な形である。
もし自分があんな目に合っていたら……
とても、耐え切れたとは思えない。
(あの人から見たら、私なんてアマちゃんなんだろうな……)
◇
そしてむかえた理沙子興行、舞台は日本武闘館――
(…………っ、こんな所で、試合なんて……っ)
デビュー前のド素人に、いきなり超満員1万5千人以上の大観衆の前でリングに上がれなど、無茶もいいところ。
「……っ、日向ちゃん、大丈夫……じゃ、ないよね」
先輩の辻でさえ、これほどの大観衆の前で闘った経験はない。
アドバイスのしようもなかった。
「っ、とにかく、10分一本勝負だし、なんとか頑張って!」
「……う、う……うん……」
「日向~~、調子はどう?」
無遠慮に入ってきたのは、日向の母――今はLUNAと呼ぶべきか――である。
「あ、香澄ちゃん久しぶり~。元気してたぁ?」
「は、はいっ……」
「……か、母さん……っ」
「ン? 何?」
「…………っ」
色々と言いたいことはあるのだが、あり過ぎて言葉にならない。
「どう? 流石に10ン年もブランクあるからヤバいかな~って思ってたけど、結構着られるもんよね~」
ヒラヒラ多めの水着を見せ付けてくる。
確かに、アラフォ……いやアラサーとは思えない、いい体である。
「っ、そ、それより……」
「あ、父さんから伝言。『魂でぶつかれ!』だって。相変わらずボキャ少ないよね~」
「っ、だ、だからぁ」
「……日向」
「……っ」
「嫌なら、やめていいのよ」
「……あ……」
「誰も、貴方に強要しないわ。リングに上がるかどうかは、貴方次第」
「…………」
「リングに上がれば、最悪、死ぬかも知れない。そんな所に、子供を送り出したい親はいないわ」
「……っ」
「でも、子供がそう望むんだったら、そうするしかないじゃない」
しかし、そう望んでいないにも関わらず、仕方なく上がろうなどとしているのであれば……
「足の一本もへし折って、つれて帰るしかないかなぁ~」
「…………っ」
「わ、私、は……っ!」
◇
「…………っ」
高崎日向は、エキジビジョンマッチのリングに立った。
どうやって花道を歩いてきたのかすらおぼろげで、てんで地に足がついていない。
子供の頃はよく足を運んだ武闘館だが、まさかそのリングの上に立つことになろうとは!
「――両者、中央へ」
レフェリーを買って出ているのは理沙子である。
そして、対角線上に相対する対戦相手は――
◆第0試合
〈高崎 日向〉(新日本女子プロレス)
VS
〈鏑木 かがり〉(新日本女子プロレス)
「……あたいみたいな半端者にゃァ、こんな晴れがましい舞台……荷が勝ち過ぎでさァ」
これまたデビュー前の、鏑木かがり。
肝の太い彼女も、いささか緊張の色が濃い。
「………………」
チラリ、と理沙子が日向を見つめる。
「…………っ」
強いまなざしにも目を反らさず、見つめ返す。
ふ、とわずかに理沙子が頬をゆるめた気がした。
「――新人らしい、フェアな試合を期待するわ。ファイトッ!」
理沙子がゴングを要求する。
「く……っ!」
頭が真っ白になるも、もはや本能のみで、日向は突き進んでいった……
◇
……カン、カン、カン……
時間切れ引き分けを告げるゴングに、思わず力が抜ける。
「ハァ、ハァッ……ハァ……」
結局、いいところのないまま、時間切れに終わった。
練習で出来ていたことが、半分……いや、十分の一も出せていなかっただろう。
「とんだしょっぱい三文芝居、申し訳ないこってございやす。もっとも、木戸銭はお返しあたわず、あしからず――」
客を煽りながら引き上げるかがりには、ブーイングが飛んでいる。
新人らしからぬ反則まで繰り出しただけはあった。
一方、四方に引き上げる日向へは観客から温かい拍手が送られる。
もっとも、日向には良く分かっていた。
その拍手は「素人の女の子」に対する「よく頑張ったね」という、いたわりの拍手にすぎないと。
(……っ、絶対、もう一度……っ)
この場所に、帰ってきて見せる。
(だって、私は……)
自ら望んで、このリングに上がったのだ。
誰から強要されたわけでもない。
だからこそ、次は……自分の力で、上がってみせる。
何も出来なかった悔しさを胸に、奮闘を誓う日向だった……
◇
日向とかがりのプレデビュー戦となったこの夜だが、多くの観衆にとって、最大のトピックはメインイベント終了後にあった。
メインで上原と組み、快勝をおさめた理沙子。
彼女が勝ち名乗りを受ける中、ふいに照明が落ちた。
スクリーンに謎のカウントダウンが映し出される。
そして、浮かびあがった文字……
「エピローグ・オブ・パンサー」
騒然とする場内、明るさを取り戻したリングの中央に仁王立ちし、スクリーンを睨みつける理沙子――
マイクを取った彼女は、
「――今夜は、ありがとうございました。私は、どこまでも、全力で駆け抜けます――」
と告げ、そのまま退場した。
その真意が分からぬまま、ざわつきの収まらない場内。
(エピローグ、って……引退……っ!?)
バックステージで試合を観ていた日向らも茫然としたまま、声もない。
これが「新女の魔物」の仕業なのかどうか――
その真実は、いまだ闇の中であった。……