「え、あんた高校行くの?」
「なんで驚くのよ! 私はプロレスラーになんかならないって言ってるでしょ!」
「まあいいけどね。高校の学費くらいは出してあげるわよ」
そんなやりとりを経て夢の女子高生を目指して受験に挑んだ日向。ところが、受験当日に高熱が出るわ、自動車にはねられるわ、乗ってたバスがバスジャックに合うわ、産気づいた奥さんを助けたりするわで、第一志望はもちろん十分合格圏内だった滑り止めの高校まで不合格!
「あ~らら、どうすんの? 中学浪人はキツイわよ~」
「うるさいわね! わかってるわよ!」
「おとなしくレスラーになったら? 理沙子に頼めば入団テストくらいは受けさせてもらえるわよ」
「絶対プロレスラーになんかならないんだから!」
そんな啖呵を切って(いつものように)家を飛び出した日向。行く当てもなく街を彷徨う。
「ううう、ホントにどうしよう…。やっぱりレスラーになるしかないのかなあ」
実のところ、そこまでレスラーになるのが嫌というわけでもない。ただ、母親への反発と素直になれない性格が邪魔をしていた。
「そうだ。こんなときは香澄ちゃんに相談しよう!」
日向が素直になれる数少ない人物である辻香澄なら何か指針をくれるかもしれない。
日向は携帯を開き香澄に電話した……。
◇◆◇ 0 ◇◆◇
西暦20X1年3月……
空前の盛り上がりを見せる女子プロレス界。
全国的な人気を誇る巨大団体・【新日本女子プロレス】を筆頭に、
サンダー龍子率いる【WARS】、ビューティ市ヶ谷の【JWI】、
ブレード上原が支える【太平洋女子プロレス】、
新興ながら勢いのある【東京女子プロレス】などが覇を競い、他にも小規模団体が乱立している。
そんな混迷と動乱の時代……
若さと情熱に溢れ、恐れを知らぬ少女たちが、新たに四角いジャングルへ飛び込もうとしていた。
いずれマット界に訪れる巨大な嵐の存在を知る由もなく……
◇◆◇ 1 ◇◆◇
日本プロレス界を牛耳る巨大団体・【新日本女子プロレス】!
スター選手、実力者、アイドルレスラーなどが綺羅星のごとく揃う、国内最大のプロレス団体。
テレビ放送は全国ネットで複数放送され、ドーム大会を開催出来るだけの人気を誇る。
練習施設や福利厚生も充実しており、他団体の追随を許さない。
本格派レスリングからデスマッチ、ひょうきんファイトまで多様なスタイルが許容されている。
今やその勢力は、プロレス団体の枠を超えているといっても過言ではない。
この巨大組織の新人入団テストとなると、これはもはや一つのイベントと言える。
すなわち全国の大都市にて《NJWPトライアウトキャラバン》を開催、各地の受験者は実に1000人規模を数える。
その中から、合格者となるとわずか10名に足りないと言うのだから、倍率たるや尋常なものではない。
そんなプロレス界イチの狭き門に挑む、あまたの少女たち――
勝ち残れるのは、異才と強運、そして、人並み外れた行動力が不可欠であった……
◇
《NJWPトライアウトキャラバン・ファイナル》――
このテストは、東京・両国コロシアムで行なわれた。
厳密に言えば、3月のPPV大会
「蒲公英~Dandelion~」
の前夜祭イベントとして、である。
もとより参加出来るのは、全国のトライアウトキャラバンをサバイブしてきた、わずか数十名。
いずれ劣らぬ猛者たちが、最後の椅子を狙い、目をギラつかせている。
「――いやはや。なかなかの見ものですね」
貴賓席に陣取った金髪の女性が、隣に座る日本人女性に笑いかけた。
「さぁ。……少し、ショーアップし過ぎかも知れません」
控えめに答えたこの女性こそ、新女の、いや日本プロレス界の重鎮・《パンサー理沙子》に他ならない。
「まだまだ、おたくらと比べたら、ママゴトみたいなもんでしょうよ」
そう大笑して見せたのは、やはり新女のベテラン・《六角 葉月》である。
「御謙遜を。……うかうかしていたら、世界がNJWPに席巻されてしまいそうです」
(――良く言う)
理沙子は内心眉をひそめた。
このアメリカ人女性は《ミス・スパイク》。
新女と業務提携しているアメリカの老舗団体・【IWWF】のエージェントで、両団体の提携強化のため、新女へ出向してきている。
(……と、いうことになっちゃいるが)
どうもそう単純な人事じゃなさそうだ、と葉月はキナ臭さを感じていた。
(ま、この団体じゃ珍しくもないがね)
巨大団体であるがゆえに、新女は幾度となくスキャンダルに襲われてきた。
選手・スタッフの離脱などは日常茶飯事であり、倒産寸前まで追い込まれたことも一度や二度ではない。
そのたび、それこそ不死身のプロレスラーを体現するがごとく蘇り、現在のような隆盛を誇っている。
が、それすらも、
(……いつまで続くかしらね)
理沙子らの冷徹な目と耳は、遠からず迫りつつある波乱の兆しを感じ取っていた。
(まっ、だからって)
ジタバタしても始まらない。
その時はその時さ、と割り切りが出来ねば、新女ではやっていけないのだ。
「――それではこれより、体力テストを開始いたします」
マイクを取って仕切っているのは《ミミ吉原》。
理沙子ら同様、新女ではベテラン選手であり、十分なキャリアを持つが、ああして現場に出ることを好むタイプである。
「良く働くねェ、泉ちゃんは」
「少しでも間近で見極めたいそうよ」
「なるほどね。自分が鍛える相手だからなぁ」
吉原は選手兼任コーチとして、若手の育成にも力を発揮している。
現在新女リングを支える選手たちのほとんどは、彼女の薫陶を受けているといってよい。
「文字通りプロフェッショナルな方ですね。わが社にスカウトしたいくらいです」
ミス・スパイクの言葉は、あながちお世辞ではあるまい。
◇◆◇ 2 ◇◆◇
〈高崎 日向〉――
父はオリオン高崎(本名・高崎星児)、母はLUNA(本名・高崎月美)というプロレスラーを両親に持つ少女である。
両親によって幼い頃から鍛えられたが、そんな教育方針に反発、プロレス嫌いを公言するようになった。
が、本心ではプロレスを愛しており、自身も薄々自覚してはいるものの、なかなか素直に認められずにきた。
本来は明るく優しい性格なのだが、両親の事、プロレスの事で屈折してしまっている。
父譲りのレスリングの才能と母譲りの俊敏性を備えており、投げ技・飛び技に資質がある。
勉強は苦手で手先は不器用、人見知りするところもあるため、本人の希望とは裏腹に、ぶっちゃけプロレス以外には向いていないと言える。
そして、進路決定の時分……
高校受験に挑んだ彼女だったが、いろいろあって――
全て不合格となってしまった。
途方に暮れた彼女は、親友であり、新女所属のプロレスラーである《辻 香澄》に相談する……
「だったらウチにおいでよ~。今度、両国でテストあるから、そこに出ればいいよ」
「えっ、けど、あれって」
確か、地方予選を突破しないと参加出来ない筈では?
「あ~、大丈夫大丈夫。会社に話通しておくから」
「え、でも、そんな……」
「ボクだって、それくらいの力あるんだよ。へへ」
「だ、だけど、それってちょっと……」
ズルい気がするんだけど。
「いいのいいの。だって、プロレスは5秒まで反則OKでしょ? そういうもんだよ」
「そ、そうかなぁ~……」
裏口入学みたいで、なんだか釈然としない。
「そうそう。もっと面白い手もあるけど、それは流石にオススメしないしね。
あ、無理矢理合格させたりとかは無理だから。後はひなっちの実力次第だよ!」
(……う~ん、どうしよう……)
せっかく辻に骨折りして貰ったものの……
なんだかフェアじゃない気がして、悶々とする。
迷いに迷った……ものの、結局、受けるだけは受けようと決意した。
(合格したら、その時になって考えればいいや)
そんな気持ちで、気まずい想いを胸に会場入りし、全国から集まった猛者たちと肩を並べる。
周囲の少女たちは同年代でありながら、いずれも一癖も二癖もありそうな面構え。
何だかひどく、自分がここにいるのが、申し訳なく思えてきた。
(……っ、でも、ここまで来て、逃げ出す訳には……)
早くテストが始まって欲しい、と祈るような気持ちでいた時、ようやく吉原によるテストの開始宣言が……
「――ちょいとお待ちいただけますかィ」
「……っっ??」
会場に突然鳴り響いた大音声。
「そのテスト――」
「どうか、あたいにも受けさせてちゃァもらえますめェか」
面妖な口上の主が、姿を見せた――
◇
「ただテストを受けさせてくれるだけで構わねェんです」
小柄ながらも頑健そうな体躯を持つ少女である。
額から斜めに走る傷跡が、異様な迫力を与えている。
彼女はなおも、時代がかった口上を続ける――
――ずらり並んだ娘ッ子が、たったの一人増えるだけのことじゃァありやせんか。
正しい手続きだのと、ケツの穴のちィせェこたァ仰いますな。
もちろんポッと出てきて皆さんと同じ舞台に上がらせろなんてェ、
おこがましいことは言いやせん。
あたいは一段低いあがりがまちで踊らせてもらえりゃそれでいい。
結果がどうあれこの〈鏑木 かがり〉、感謝こそすれ恨みなどいたしやせん。
どうか、伏してお願い申し上げやす――
いやに堂に入った物言いである。
「……あの阿呆」
葉月は頭をかいた。
「貴方の差し金?」
「違う違う……と言いたい所だけど、そうとも言えないか」
「?」
「レスリングの後輩でさ。……岸岡さんとこで鍛えてるとは聞いてたけど」
岸岡とはかつて新女に在籍した中堅レスラー《ヴァーミリオン岸岡》のことである。
新女退団後、新団体GGJ(現在は解散)に参加、いまやトップヒールとして活躍する《ガルム小鳥遊》や《オーガ朝比奈》らを育て上げた。
現在は引退、レスリングスクールで後進を育てていると聞いていたが……
「なるほどね。……正に【GGJ】流のやり方、という所かしら」
かつてGGJ残党の小鳥遊らに試合へ乱入された経験がある理沙子は、苦笑とも微笑ともつかない頃合の笑みを浮かべた。
「ハッハー……流石はNJWP。こんな演出を用意しているとは予想外でした」
「フフッ……一寸先はハプニング、ですね」
「そりゃいいけどさ、どうすんだよ。客も騒ぎ出してるぜ」
「……泉さんが上手くやるでしょう」
「――鏑木さん、でしたね」
マイクを手にした吉原が、動じる色もなく呼びかける。
「貴方のお気持ちは分かりました――が、ルールはルールです。ここにいるテスト生たちは、各地での予選を突破して、やっとここまでたどり着いた人たちばかり」
その中に割って入るというのは、
「ちょっと、虫がいいのではありませんか?」
「――ッ」
思わず顔を伏せたのは、かがり……ではなく、日向である。
自分の事を言われている訳ではないのは、分かっているが。
かがりは顔色一つ変えるでもなく、じっと聞いていたが、こと為らずと見たか、深々と一礼するや、きびすを返す――
「――まぁ待て。お嬢ちゃん」
声が上がったのは、貴賓席である。
「ルールはルールだ。だがな」
遅刻して現れた、もう一人の新女の重鎮――
「あらゆるルール、あらゆる理屈、あらゆる常識ってヤツをブチ超えてみせるのが、プロレスってもんだろうよ――――」
《八島 静香》――新女の“影番”にして、ヒール軍団『夜叉紅蓮(ヤサグレン)』の総帥である。
「――違うかい? 御大」
「…………」
理沙子に視線を向けられ、ミミ吉原は、やれやれ、と言いたげに苦笑して肩をすくめた。
わっ、と固唾を呑んでいた観衆がいちどきに歓声をあげた……
◇
……と、そんな“劇場”の後の、体力テストである。
さしもの歴戦の? テスト生たちも、すっかりペースを崩され、思うような結果を出せずじまい。
しからば日向がどうかといえば、
(……やっちゃった……)
よりによってこんな時に、無性に虫歯が痛み……
からっきしの結果に終わってしまった。
ちなみに、例の鏑木かがりは、ダントツでトップの成績。
どうやら乱入するだけのことはあるらしい。
続く自己アピールタイム……
これは結構、ウケた気がする。
そして、最後のスパーリング。
日向の相手となったのは、タッグチャンピオンである
《ラッキー内田》
であった。
(な、なんでよりによって、トップ級の人と……っ)
もとより勝負になる訳もなく、シャイニング弾で轟沈。
あえなく、眠らされた……
◇◆◇ 3 ◇◆◇
――目が覚めた時、彼女は支度部屋の隅に寝かされていた。
「あっ! ひなっち、おはよっ」
能天気な声をかけてきたのは、もちろん辻である。
「ぇ……あ、あー……うん」
まだ頭がクラクラする……が、痛みはほとんどない。
われながら頑丈さはなかなかのものだった。
「あ、えっと、テスト……はっ?」
「…………」
顔をそむける辻。ということは……
「……っ、だよね……不合格……」
「――な~んちゃって」
ぱっ、と笑みを向けてくる。
「おめでと、ひなっち。合格だよっ」
「え……っ?」
正直、にわかに信じられない。
自己アピール以外、全然ダメだった気がするのに……
「まぁ、ボクも基準は分かんないけど」
たぶん、いろいろな要素が絡んでるんじゃないかな、と辻は肩をすくめた。
「……そっか」
自分の力以外の要素……
両親、理沙子、辻……それらの要因が、絡んでいるのかも知れない。
「――ひょっとして、辞退しようとか、思ってる?」
「ぇ……」
「……無理には奨めないよ。新女はさ、大きすぎて、血が通ってないなって思う時もあるもん」
「…………」
「でも、一度は触れてみないと、何にも分からないだろうから、テストだけでも受けてみたらって思ってたんだけど……ね」
「…………」
「入ってくれるなら嬉しいけど、ホント、無理しなくていいよ。他の小さい団体の方が、気楽にやれるかも知れないしね」
◇
「いやはや。なかなか刺激的なトライアウトでしたわ」
席を立ち、笑みをたたえるミス・スパイク。
「……御期待にお答え出来て幸いです」
理沙子は苦笑した。
「そういえば、いかがでした? 御親戚の方は」
「――良く、ご存じですこと」
「いえいえ。たまたま、小耳に挟んだだけです」
「それなりでした。後のことは、彼女次第でしょう」
「そうですか。……魅力的な少女でしたね」
「…………」