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2010年09月05日

『ぐいぐいジョーはもういない』

人生の中で、女の子が高速スライダーをおもいっきり投げなくちゃならない日は、限られている。
あの八月の決勝の日は、その、数少ない一日であったのだ、と、私たちは後に思った。

例によってTwitterで検索して発見。
知るやいなや自転車で家を飛び出し、近所の本屋を回って3件目でゲット。

作者は樺薫さん。初めて聞く名前だったのだけど、最初の数ページを読んで「あれ?」と思い、著者紹介に西武ファンとあるのを見て「あれれ?」と思い、ググってみたら「ビンゴ!」だった。
夏葉薫さんじゃねーか。
女子野球ノベルゲームの傑作『花咲くオトメのための嬉遊曲』企画・脚本を担当された方である。
夏葉さんの野球小説を読むためだけに『ひぐらしのなく頃に ノベルアンソロジー』を買ってしまう程度にはぞっこん惚れ込んでいる私である。まさか、こんなに突然、夏葉さんの女子野球小説を読めるとは思わなかった。
日記はずっとチェックしてたんだけど別名でデビューされていたとは知らなかった。既刊の『藤井寺さんと平野くん 熱海のこと』も面白そうなので今度買ってこよう。
前に女子野球の取材に行ったというのはこれのことだったのかなー。ゲームのためだと思い込んでたよ。

女子高校野球界のスーパースター、“ぐいぐいジョー”の異名を持つエースピッチャー城生羽紅衣と、その女房役・小駒鶫子。二人の所属するダスティン女学院硬式野球部は全国高等学校硬式野球選手権大会の決勝戦に進んでいた。
試合前夜、羽紅衣は鶫子に告げる。決勝戦を最後に野球を止め、許嫁と結婚する事を。
肘を痛めている羽紅衣を気遣う鶫子は、どうしても登板するといって聞かない羽紅衣に条件を出す。「……ランナーを出すまで」と。
そして“ぐいぐいジョー”の最後の投球が始まる。試合と、二人の愛のゆくえは――。

全国大会決勝戦の試合と、羽紅衣と鶫が出会ってからの物語が交互に展開されていく。
試合の描写は『花咲くオトメのための嬉遊曲』をプレイした人には言うまでも無いだろう。樺さん自身がブログで「無走者打席での凡退の描き方ってこんなにいっぱいあるんだ、とそこだけは感心していただける稀有な作品」と自ら表しているけど、さすが、濃密でありながら軽快。野球を知っている人だけに描ける緊張感が見事。

野球を通じて二人が絆を深めていく、というのはまあ普通なんだけど、樺さんらしさというか、二人が投手と捕手であるからか、二人の関係性もなかなか一筋縄ではいかない感じ。
ダスティン・ホフマン主演の映画『卒業』がモチーフになっているところもそうだし、バレンタインのエピソードも、まあいかにも百合的なエピソードなんだけど、なんか一味違うんだよね。
試合のシーンもそうなんだけど、対象に対する理解と愛情があるからこそ過剰に感情的にならず、乾いた描写になっているというか。山際淳司とか海老沢泰久をちょっと思い出した。

奔放で傲慢なエースらしいエースの羽紅衣と、羽紅衣に振り回されながらも多分ぞっこんな鶫子のバッテリーはもちろんいいんだけど、他のキャラもなかなか魅力的。出番が少ないのがもったいないキャラが多い。真梨威や黛夢の活躍をもっと見たかったなあ。
前司先輩がせりの打撃を指導するシーンとかぐっと来た。あとは観客席の馥郁館女子の様子をあえて描写するのが心憎いというか。それぞれの選手にそれぞれの物語があるんだよね。

しかし、分けて考えるべきだとはわかってるんだけど、どうしても『花咲くオトメのための嬉遊曲』と重ねてみてしまうなあ。
前はヒロインが全員野手(二塁手・左翼手・中堅手)だったけど、今回は百合ってこともあってバッテリーなのかなーとか、前述の『卒業』がモチーフになっているところは『恋愛の時空』がテーマだったのと被るなーとか。あと魅力的な脇キャラが勿体ないところも一緒(『嬉遊曲』はサイドストーリーとかでフォローがあったけど)。
同じ書き手で、同じ女子野球を扱っているんだから当然なんだけど、何より似ている、そして魅力的なのは作品の持つ雰囲気だと思う。
私が『花咲くオトメのための嬉遊曲』で最も惹かれたのは、作品全体を通して流れる寂寥感やセンチメンタリズムなんだけど、今作にもそれは共通している。

――なんて、優雅で感傷的な女子野球。

愛は滅びても、野球は残る。
そんな言葉を信じかけてしまえばこそ、私はスポーツシーンの語り手である事をやめない。
願わくば、野球か、でなければ愛が、彼女たちに残されています事を。

これは『花咲くオトメのための嬉遊曲』のバッドエンディングからの引用だけど、こんなことを書ける人は他になかなかいないと思う。
野球に対する深い愛情と憧憬を感じずにはいられない。
今作のエンディングも、何とも言えない寂寥感と、それを越える解放感、爽快感があって素晴らしい。
羽紅衣と鶫子のゆくえにも、野球か、でなければ愛が残されていることを祈らずにはいられない。



何はともあれ、是非読んでほしい作品。……講談社BOXなんでちょっと値は張るけど損はしないと思う。
こんな野球小説、百合小説があるんだぜ。

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コメント

>ああくさん

どうもです。お褒めに預かり恐悦至極。結構気合入れて書いたので。

あまりサブキャラの活躍に期待すると物足りないかもですが、妄想の翼を広げるには十分かと。

言われるまで気付かなかったですが、確かに投手に許嫁がいて、投手と捕手がメインってところは『対象野球娘。』と一緒ですね。あっちも百合(というかエス)な描写もありましたし。投手ってのは少なからず傲慢さは必要ですね。

お久しぶりです。
これはなかなか興味を惹かれました。紹介が上手いですね。
すぐには買えないかもしれませんが、いずれ買おうかなと思いました。
出番が少なくとも、サブキャラクターにも魅力があるというのは私好みなので楽しめそうです。
どうでもいいですが、女子で野球で許嫁と来て、ちょっと大正野球娘。を連想しました。
では。

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