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2009年06月14日

三沢光晴、逝く

昨夜、うとうとしていたら友人しゃぶしゃぶくんから久々に電話が来た。
何かと思って電話に出ると、一言。

「三沢が死んだ」

……。
意味がわからない。

Yahooのトップニュースを見て絶句。
二人でそれ以上何を話せばいいかわからないまま、電話を切る。

信じられないし、信じたくもなかったが、紛れも無く事実。
本当に信じられない。あの受け身の達人、倒れても倒れても立ち上がってくる事からゾンビとまで言われた、不死身の三沢が試合中に逝ってしまうなんて。
直接の原因は彰俊さんのバックドロップだったようだが、やはり長年のダメージが蓄積していたのだろう。
ノアを立ち上げてからは選手と社長の二足のわらじで団体を引っ張ってきた。肉体的にも精神的にも大変だったと思う。
特に最近は年齢の影響もあって、明らかに体調が悪かった。にも関わらず、ノアの中心選手として休むことはできなかったのだろう。
全身ボロボロで、身体のあちこちが悲鳴を上げてもそんな素振りも見せずにリングに立ち続けた三沢。その責任感が、自分の身体の限界を気付かせなかったのだとすれば、何ともやりきれない。

私がプロレスを観始めたのは1999年頃のこと。
当時、引きこもりで不眠症の大学生だった私が、眠れずに点けたテレビで全日中継を観たのがきっかけだった。
三沢や小橋の見せる、あまりに激しいプロレスに衝撃を受け、いつしかプロレスファンになっていた。
三沢がノアを立ち上げると、全日の選手たちが三沢についていったように、私もファンとして三沢に付いていった。
あれから10年、私にとってのプロレスは常に三沢光晴とともにあった。

レスラーとしての凄さはもちろん、人間としても非常に人望の厚い人だった。
プロレス界に有りがちな大言壮語を吐くことは無く、決して嘘をつかない。
自分の信念は決して曲げないが、それでいて選手たちの個性や自由を認める広い度量を持っていた。
そんな三沢だからこそ、選手たちは付いていったし、ノアという団体をまとめてこれたのだと思う。
馬場さん亡き後、人望と信頼でプロレス界をまとめていける人間は三沢だけだっただろう。そういう意味でも三沢を喪った事の意味は大きい。

リングで死んで本望だったのかどうかはわからない。でも、間違い無く言えるのは三沢光晴はプロレスに殉じたということだ。
長い間、お疲れ様でした。
今はゆっくり休んで、天国で馬場さんやジャンボ、冬木と旨い酒を酌み交わしてください。

たくさんの感動をありがとう。
あなたの勇姿を、生き様を、俺達は忘れません。

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