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2009年06月29日

俺の妹がこんなに可愛いわけがない

今朝、出勤途中に妹からメールが届いた。

件名:にーちゃんのばかー(# ゚Д゚)
本文:にーちゃんが持っていったペットボトルは美弥(仮名)のだよぉ(o ><)o

どこの萌えキャラだおまえは。

2009年06月28日

名はサイトを表す

当サイトも10周年を迎えたということで、こんなときじゃないと書く機会も無いだろうと思われる、ウチのサイトの名前の由来などをつらつらと書き綴ってみましょう。

悩惚堂という名前、考えたのは実は私ではありません。
今から十数年前、私が高校生だった頃の話です。当時TRPGにはまっていた私は、週末になると友人宅に集まり、仲間とセッションを行っていました。
あるとき、仲間の友人Yが、リプレイ本を作成してガタケットにサークル参加しようと言い出しました。そのとき、彼が考えたサークル名が『脳惚堂』でした。
結局、リプレイ本を出す話はお流れになったんですが、それから数年後、このサイトを立ち上げた時に何かいい名前はないかと考えた時に出てきたのがこの名前でした。
最初は『のうこつ堂』がサイト名だったんですが、その後、『のうこつ堂本舗』、『悩惚堂本舗』と名前を変え現在に至ります。
“のう”の漢字を“脳”から“悩”に替えたのは、友人Yのオリジナルから一捻り加えたかったことと、“悩”の方が苦悩と恍惚の挟間をふらふらしているような私の心理状態をよく示しているから、とでも言っておきましょうか。
語呂もいいし、シャレも利いてるし、愛着もあるしで、多分今後もずっと使い続けるかと思います。

ついでにもうひとつ。『のうこつ堂』という名前になる前のほんの短い期間、『青山会館』という名前だった時期があります。
元ネタは私の母校にあった建物で、学食と研修や合宿に使えるスペースなどがありました。
高校時代、仲間といつも集まって駄弁ったりゲームをしてたりした場所だったので、このサイトもそういうスペースになればという気持ちで付けた気がします。
ちなみにこの青山会館、略してアオカンと呼ばれていました。今考えるとひどいですな。
当時、ウブな高校生だった私は青姦なんて言葉は知らなかったけど、耳年増で知っていた人も結構いたはずだよなあ。「アオカン行く? 先にイってもいい?」「待って。私も一緒にイくから」とか普通にみんな言ってたけど、それを聞くたびに顔を赤らめていた耳年増な女生徒がいたとか思うとちょっと萌え。
私の卒業後、校舎の建て替えに伴い、青山会館も取り壊されてしまいました。それを考えるとネット上だけでも思い出の青山会館の名前を残しておいても良かったかなあ、なんて思います。

女子野球サイトの『女神たちの球宴』についても書いておきましょう。
こちらも最初は名前が違って、『妖精のスタジアム』というサイト名でした。
名前から分かるかも知れませんが、最初は『ドキプリ』のファンサイトにするつもりでした。
しかし、当時はtomiさんのふぁうるちっぷ以外にも『ドキプリ』サイトは結構あったので、他のサイトと差別化するために女子野球全般を扱うサイトにしたという経緯があります。
『妖精のスタジアム』というサイト名がいまいちしっくり来なかったので何かないか考えていたときに見つけたのが『Vガンダム』の最終話タイトル(正確に言うとそれを使用した『新スーパーロボット大戦』のシナリオタイトル)『天使たちの昇天』でした。
おお、なんか語呂も良くってカッコいい。天使を女子野球にちなんだ言葉に変えて…、『ドキプリ』は妖精、『プリンセスナイン』はお姫様、『無敵のビーナス』は女神…、女神が語呂がいいな。昇天も野球用語に変えて…、いろいろ女子野球作品が集まるんだから球宴がいいかな…。
てな感じで『女神たちの球宴』というタイトルが決まりました。『女神たちの球宴』の女神は『無敵のビーナス』から来ていたという衝撃の事実、ってほどでも無いか、豆知識。
ネーミングセンスの無い私にしては非常に良いサイト名だと思っとります。

そんなわけで、サイトの名前の由来についてでした。
どーでもいいっちゃどーでもいい話ですが、たまには自分のルーツを思い出すってのも必要なことかと思いますので。
きゅ-ちょーという名前の由来は20周年のときにでも…(いや、それこそ語るほどのもの無いから)。

2009年06月27日

めがきゅーうぃき、復活

昨年のロリポップのサーバすっ飛ばし事件で消失したままだっためがきゅーうぃきを1年ぶりに復活させました。
ホントは復活する時はいろいろ改善してアップするつもりだったのだけど、そんなことを言っていたら悩惚堂本舗20周年記念、とかになりそうなので消失前とほぼ同じ状態で再アップ。
バックアップできなかった部分の修正はおいおいやってきます。
なんかAmazonプラグインが使えなくなってて1時間ほどいろいろ調べてみたけどギブアップ。便利だったんだがなあ。代替手段も考えねば…。
とりあえず『大正野球娘。』のページはアニメ放送開始前に作っとかないと…。

ついでに女神たちの球宴のトップページに動画を表示するようにしました。
何年か前にWindowsムービーメーカーの実習でつくったやつで、手近な素材ででっち上げたやっつけ仕事なんですが、HDDの肥やしにしておくのもなんなので。
『ひと夏の少女』の画像が2回出てくるのはミスなんですが、すでに元データも素材も無くなってしまったので修正できません。『クロスゲーム』や『大正野球娘。』も加えた完全版をいつかつくりたいなあ。

2009年06月26日

GIOS Esola 購入

新車購入。と言ってももちろん自転車のことです。

ウチの弟も自転車ツーキニストなのだけど、職場まで10キロの道のりを母親の1万円ママチャリで通っていた。
ママチャリで10キロ通勤は私でも勘弁だ。さすがに弟もそう思ったらしく、定額給付金も出たので自転車を買うと言い出した。
ところが、別に自転車好きじゃない弟、安い自転車で済まそうとしていた。下手なママチャリを買うくらいなら俺のをやるよ、って事で雨用に使っていたブリヂストン レプトスを譲ることと相成った。

そうなると私の雨用の自転車が無い。ESCAPEは雨で濡らしたくないし、そもそも泥除けもついてない。
そんなわけで、悪天候用に自転車を購入することした。
ネットで調べると2~3万程度でもそれなりのクロスバイクがあるんだけど、購入後の事を考えるとやはりネット通販では無く近所の店で買いたい。
泥除けあり、チェーンカバーあり、変速機ありでなるべく軽めのクロスバイクという条件で色々迷った結果、選んだのがコレ。

イタリアの老舗メーカーGIOSのEsola。定価39800円。
ウン十万もするジオスのロードバイクと比べるべくも無いし、当然イタリア製でもないけど、ジオスブルーが鮮やかでなかなか可愛いでしょ。
値段がより安く、ハブダイナモなどフル装備のブリヂストンのマークローザにしようかとも思ったのだけど、デザインでEsolaに決定。
この値段で車重13kgは優秀。タイヤが太めで、変則も7段とあまりスピードは出ないけど、走りはなかなか軽快。
悪天候のときだけしか乗らないのは勿体ないので、近所の買い物なんかにも使用してます。
…またクロスバイク買うんだったら、なおのことESCAPEじゃなくてロード買っとくべきだったよなーと思いましたが、まあ、今更ですな。

今回もEscapeと同じくC&Bマルシンさんで購入。対応も親切だし、いいお店です。
今までジオスのバイクは扱ってなかったそうなんだけど、お願いしたら今後取り扱うようにしてくれました。感謝。

自転車自体はいいのだけど問題がひとつ。
我が家に自転車が増えすぎて置く場所が無い。
そんなことでサイクルハウスを近所のホームセンターで購入。

2台用で7980円。
アルミ製の骨組みで結構しっかりしたつくりなんだけど、新潟の冬の暴風に吹き飛ばされないか、今から心配です。

2009年06月25日

『大正野球娘。』いろいろ。

さてさて、アニメの放送開始も間近な『大正野球娘。』ですが、立て続けに新刊が出たのでにょろっと触れておきましょう。

帝都たこ焼き娘。―大正野球娘。〈3〉 (トクマ・ノベルズEdge)帝都たこ焼き娘。―大正野球娘。〈3〉 (トクマ・ノベルズEdge)
神楽坂 淳


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2巻で完結と思われていた原作小説に、まさかの新作が登場!
男子との野球対決から数ヵ月後、桜花会のお嬢さんたちはひょんなことから関西のライバル校と屋台対決を行うことに。
金属バットやスパイクといった未来の技術で男子に対抗するのが『大正野球娘。』の特色だったけれど、今回は昭和初期に生まれたはずのたこ焼きで勝負するところがポイント。
たこ焼きを含めて、相変わらず料理の描写が多い。すず川のオムライス、食べたいなあ。
乃枝と巴による小梅争奪戦も見所。みんな小梅大好きだよなー、この作品。
ライバル3人娘と新聞部の後輩(アニメ版のオリジナルキャラとはまた別人)は、活躍してたとは言い難い。次刊以降に期待か。
そう、番外編的エピソードかと思ったら、なんと続くらしいです。しかも次は野球対決みたいですよ?
期待せざるを得ないけど、前巻も今巻も発売が延びてたので、続きは先になりそう。アニメ放送中は無理だろーなー。

大正野球娘。 2 (リュウコミックス)大正野球娘。 2 (リュウコミックス)
伊藤 伸平


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伊藤伸平さんによるコミック版の2巻も原作とほぼ同時に発売されました。
このコミック版、マンガとしては非常に面白いです。原作とは全然ノリは違うけど、ギャグも切れてるし、キャラクターも生き生きしている。乃枝や雪は原作以上にはっちゃけてるし、雪と環のオリジナルエピソードもいい感じ。
ただ一番の問題は、絵が致命的に萌えないところなんだよなー。
そもそも、『大正野球娘。』ってぶっちゃけキャラ萌えの作品じゃん。絵が微妙で話がおもしろいより、話は微妙でも絵が萌える、って方が求められてると思うんだけど…。
まあ、おもしろいから俺的にはこれでオッケーなんだけど、古臭い絵柄と敬遠する人もいるかも。絵だけで判断するのは勿体ない作品かと思います。
コミックだけ読んでアニメを観ると、ノリの違いに驚くかもなー。

女子野球、続々TVアニメ化 ブーム再来なるか - MSN産経ニュース

こんな記事も出てました。Yahoo!のトップニュース入りまでしててビックリ。
いっそのこと伝説になるくらいダメなアニメになったりしたらおもしろいけど、なんか絵も話もふつーで論評しにくい作品になりそうな予感も…。
いや一応期待してますよ? 新潟ではやりそうにないので動画共有サイト頼みDVD待ちになっちゃいますが。

アニメに連動してwebラジオなども始まってますが、なんとPSPでゲーム化も決まってるらしいです。
5pb.から2009年秋発売予定で、タイトルは『大正野球娘。 乙女達乃青春日記』。このタイトルは『ドキプリ』へのリスペクトということで宜しいですね?
育成シミュレーションとかには、絶対ならないだろーなー。

2009年06月16日

10周年!

三沢の死の衝撃はまだ冷めやらないものの、ちょっとめでたいことがあります。
なんと、今日で悩惚堂本舗は10周年を迎えました。
すごいね、びっくりだね、お兄ちゃん!(CV:田村ゆかり)

10周年ということで、何かネタをやったり、過去を振り返ろうかとも思ったんだけど、かったりーからパス。
それにしても、10年前、大学のサーバでHTMLの練習がてらこのサイトを立ち上げた時はこんなに続くとは全く考えてませんでした。
我ながら、よく飽きずに愚にもつかないことを延々と書き綴ってきたものだ。

ま、毎日更新しているとかならともかく、ウチみたいに不定期に更新しているサイトじゃ、別に長く続いても大して威張れたもんじゃないわな。
サーバにアップしてあれば放置してたってサイトは存在し続ける訳だし(事実、いまだに跡地が残ってるし)。
とはいえ、途中で閉鎖することも無く、何か月も放置することも無く10年やってきたのはちょっとくらいは自分を褒めてあげてもいいだろう。継続は力なり、と言えるかどうかは微妙だけどね。

なんだかんだで続けてこられたのは、好きなものを何でも扱う無節操さと、サイトで取り扱いたくなるような面白い作品や出来事、人々と出会うことができたからだろう。
後はまあ、こんなアレなサイトを見てくれている酔狂な方々のお陰、かな。
今後も今まで通り、だらだらやっていく所存ですが、それでよければ宜しくお付き合いください。

次は20周年だー!

2009年06月14日

三沢光晴、逝く

昨夜、うとうとしていたら友人しゃぶしゃぶくんから久々に電話が来た。
何かと思って電話に出ると、一言。

「三沢が死んだ」

……。
意味がわからない。

Yahooのトップニュースを見て絶句。
二人でそれ以上何を話せばいいかわからないまま、電話を切る。

信じられないし、信じたくもなかったが、紛れも無く事実。
本当に信じられない。あの受け身の達人、倒れても倒れても立ち上がってくる事からゾンビとまで言われた、不死身の三沢が試合中に逝ってしまうなんて。
直接の原因は彰俊さんのバックドロップだったようだが、やはり長年のダメージが蓄積していたのだろう。
ノアを立ち上げてからは選手と社長の二足のわらじで団体を引っ張ってきた。肉体的にも精神的にも大変だったと思う。
特に最近は年齢の影響もあって、明らかに体調が悪かった。にも関わらず、ノアの中心選手として休むことはできなかったのだろう。
全身ボロボロで、身体のあちこちが悲鳴を上げてもそんな素振りも見せずにリングに立ち続けた三沢。その責任感が、自分の身体の限界を気付かせなかったのだとすれば、何ともやりきれない。

私がプロレスを観始めたのは1999年頃のこと。
当時、引きこもりで不眠症の大学生だった私が、眠れずに点けたテレビで全日中継を観たのがきっかけだった。
三沢や小橋の見せる、あまりに激しいプロレスに衝撃を受け、いつしかプロレスファンになっていた。
三沢がノアを立ち上げると、全日の選手たちが三沢についていったように、私もファンとして三沢に付いていった。
あれから10年、私にとってのプロレスは常に三沢光晴とともにあった。

レスラーとしての凄さはもちろん、人間としても非常に人望の厚い人だった。
プロレス界に有りがちな大言壮語を吐くことは無く、決して嘘をつかない。
自分の信念は決して曲げないが、それでいて選手たちの個性や自由を認める広い度量を持っていた。
そんな三沢だからこそ、選手たちは付いていったし、ノアという団体をまとめてこれたのだと思う。
馬場さん亡き後、人望と信頼でプロレス界をまとめていける人間は三沢だけだっただろう。そういう意味でも三沢を喪った事の意味は大きい。

リングで死んで本望だったのかどうかはわからない。でも、間違い無く言えるのは三沢光晴はプロレスに殉じたということだ。
長い間、お疲れ様でした。
今はゆっくり休んで、天国で馬場さんやジャンボ、冬木と旨い酒を酌み交わしてください。

たくさんの感動をありがとう。
あなたの勇姿を、生き様を、俺達は忘れません。