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2005年05月14日

野球少女は白球に何を想うのか

えー、イマサラながら『花咲くオトメのための嬉遊曲』について触れてみます。
……ホントに今更ですな。スルーしようかとも思ったけど、さすがにそりゃあまずいだろうという事で。

最初に、LOVER-SOULのサイトや初回版のブックレットに掲載されている、私の書いた解説(というかなんというか)について。
ゲームの頒布前に解説をお願いされて、プレッシャーを感じつつ結構気合入れて書き上げたのだけど、幸いなことに評判も上々だったようで胸を撫で下ろしたですよ。ま、役得もあったしね。
しかし、初回版ブックレット、最初に見たときはかなり焦った。
だって私の解説文に4ページも割かれているんだもの。しかも、スタッフのコメントとか他にも色々文章が載っているもんだと思ってたのにイラスト中心の構成。なんだか私のためにつくられたかのようでした。あんな妄想垂れ流しまくりの文章なのに。
ただあのブックレット、改行位置がおかしいんだよね。そこがちょっと気持ち悪い。一応ウチのサイトにもアップしてあるので読む時はそっちも見て貰えると嬉しいです。
ちなみに前に言っていたのはこのことです。後日、遅すぎ。

んで、ゲームをプレイした感想など。
何より全体を通して流れる雰囲気が良い。
野球に青春を賭ける少女達の悲愴感というか寂寥感というか。
野球なんて所詮ただの球遊び。その中でささやかな栄光を掴み取れるものでさえほんの僅か。
しかもそんな小さな栄光を勝ち取った僅かなものたちにも、女子野球というマイナーなジャンルにおいては将来を約束するものではない。
それでも少女達は野球に青春を賭ける。白球の行方に一喜一憂する。喜び、涙を流す。
そしてそれに私は堪らなく魅せられる。
田中松太郎さんの描くキャラクターもその魅力を増加させている。
各キャラクターのエンディングが全然ハッピーエンドじゃ無いなどという意見もあるようだが、私はあれでいいと思う。
個人的には二つあるバッドエンドが大好きだったりする。あのエンディングこそ『嬉遊曲』の世界観をよく現しているんじゃないかと。

あと、野球描写がしっかりしているのもうれしい。
女子野球ものにおいて、野球描写はある意味鬼門。最近はそうでもないけど作り手が野球を全然分かってないってことが今まで多すぎた。『ドキプリ』とか『プリナイ』とか。
技術的、専門的な知識だけじゃなくて、野球に対する哲学と言うか思想と言うかが素晴らしい。
乃雪の打撃理論と言うよりむしろ打撃思想、あれには痺れた。
(後に『バッテリー』の原田巧にも同じものを感じたのだけど、投手と打者の違いこそあれ天才というものは通ずるところがあるのかも)
ただ逆にマニアックすぎるところはかも知れない。
例えばカッター(=カット・ファスト・ボール)がどんな変化球かわからないとか、そんなレベルだと楽しめない恐れもある。

今作は野球描写が濃密なのはもちろん、マニアックなネタも多い。枯堂夏子の『天地無用』の歌の詩が大きな話の軸にもなっているけど、個人的には「滝沢、須永、中山、牧野」に涙が出た…。この辺は同人ならでは。
「同人でよくここまで」と「同人だからこそできる」が両立していると言えるかもしれない。ある意味理想的。

多くの人が言っているようにいくつか不満点は確かにある。
私も終盤の展開があっさりしていいることには不満を感じたが、あれは主人公とヒロインの関係性に焦点を絞ったためだとも言える。
逆に言うとプレイヤーの側に妄想の余地もあるし、他の展開でのフォローも考えられる(実際サブストーリーが展開しているし)。
あとHシーンがちょっと浮いてたかなあと。急にエロエロになるし、母乳だし。

とは言え、女子野球ものというマイナーな上に扱いが難しいジャンルによくぞ挑戦し、更に結果を残してくれたと言いたい。
私にとっては作品自体だけでなく、解説を書くにあたって様々な女子野球ものを読み返して女子野球の魅力を再確認させられたりと、女子野球熱を再燃させてくれた作品でもある。
素晴らしい作品をつくり出してくれたLOVER SOULのスタッフの方々に感謝と賛辞を。
この作品に僅かなりとも貢献できたことを光栄に思います。

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