新潟の冬が厳しいのは周知の通りだけど、夏も蒸し暑く過ごしやすいとは言えない。
6月から7月にかけての梅雨時、夏から秋に移り変わる9月頃は雨が多いので、1年において天気が良く、過ごしやすい気温の時期というのはあまり多くない。
そんな新潟で、今の時期は1年のうちで一番いい時期だろう。もう少しすると寒さと強風、そして雪のせいで自転車乗りにはつらい季節となる。
この時期を逃せば自転車で遠出をするなんて気にはとてもならない。せっかくの祝日、しかも見事な秋晴れ、ということでサイクリングに出かけることにした。
目的地は豊栄に決定。昔住んでいた町なので一度は訪ねてみたいと思っていたし、サイクリングにはちょうどいい距離だしね。
市街を突っ切って行くのが距離的には近いのだが、いつも通っている道を行くのではおもしろくない。ちょっと遠回りして信濃川沿いのやすらぎ堤を走る。
気持ちよい陽気の中、メロキュアと山本正之を聴きながら河川敷を走っているとそれだけで気分がよい。町走りと違いって信号や歩道の段差も無いし。
こうやってみるとやすらぎ堤も雰囲気あるね。
新潟市民の誇り、萬代橋
萬代橋を超え、初めて柳都大橋を渡り、東新潟へ。
新潟駅から東ってほとんど行ったことが無い。住んでる知り合いもいないし(いや一応妹がいるか…)、買い物なら万代や古町で十分だし。
栗の木橋や赤道十字路など、よく耳にはするけど実際はどの辺かよくわかっていなかった地名を通り過ぎていく。
別に急ぐわけではないので、赤道の万代書店や見かけた古本屋に立ち寄ってみたりする。本当はふらりと横道に入ってみたかったりもしたのだが、急ぎはしない旅とは言え、道に迷って結局目的地にたどり着けないというのではちょっと情けないので止めておいた。
通ったことのない道だと思っていたのだが、なぜか見覚えがある。子供の頃にこんなところまで来ていたはずは無いし、新潟に行くときはいつもバイパスだったよな、などと思いつつ走ってたのだが、阿賀野川に辿り着いた時にようやく思い出した。
そうか、子供の頃スイミングスクールのバスに乗って通っていた道なんだ。見覚えがあるはずだよ。
そういや、当時、この辺のホテルでバラバラ死体が見つかったんだよなー、などと余計なことまで思い出してしまった。
阿賀野川の河川敷公園。いいところだねー。
更に進んでいくと、辺りがいかにもザイゴ(在郷)っぽい雰囲気になっていく。どうでもいいけど、どうして田舎の国道沿いとかって、自動車とトラックと農業機械の店ばっかりなんだろうね。
寄り道をしたせいもあって、家を出て2時間半ほどで目的地の旧豊栄市木崎地区に到着。
私が豊栄に住んでいたのは小学生の頃だからもう20年も前のことになる。
車で通り過ぎたり、新潟競馬場に来たことはあったが、こういう風に訪れるのは引っ越して以来初めてだ。
なんだか嬉しいような切ないような気持ちがこみ上げてくる。顔が自然と苦笑いの表情になってくる。
そういや、豊栄に住んでた頃、死んだ父方の祖父が黒埼から何度も自転車で遊びに来ていたなあ。当時でさえ60過ぎてたのに元気な人だったな、じーちゃんは。
懐かしい思い出の場所を自転車でゆっくりと回る。
家族で住んでいた社宅。当時はすごく大きな建物だと思っていたのだが、今となってはこじんまりとした建物に見える。
私が遊び場にしていた駐車場や裏庭、こんなに狭かったんだ。近くを流れている川ももっと大きかった気がするんだが、今見るとありゃただの用水路だよな。
家の目の前にあったホテルはつぶれてツタヤになっていた。西洋のお城風の電飾で飾られていて夜はとても綺麗だった。
私が覚えている最も古い記憶は、豊栄に引っ越してきた日の夜に見た、ホテルの電飾と連なる車のテールライトのキラメキだ。まだ2歳だったのだが、幼心にこんな綺麗なものがあるのかと思った。
ま、そのホテルはラブホテルだったわけなんだけどね。
通っていた幼稚園。春になると周りはチューリップで囲まれる綺麗なところなんだよな。
通っていた小学校と、そこに至る通学路。小学校のグランドに並べて埋められたタイヤは、当時と同じものなんだろうか。春には校庭の桜が美しく咲き誇っていたな。
夏休みのラジオ体操で通ったお寺。
よく遊んだ公園。
母とよく行ったスーパー。あの頃は桃太郎(新潟限定のアイス)がまだ30円だった。
からだの弱かった子供の頃、毎月のように通った病院。当時からじーさんだった先生はまだ元気だろうか。
ザリガニをとった用水路。あの頃はまだ蛍が見られたけど、今はさすがに無理だろうな。
カブトムシを採った並木道。
仲の良かった友達の家。さすがに訪ねる気は起きなかったけど。
変わってしまったものや無くなってしまったものもあったけど、まるで時間が止まったかのように変わっていないものも多かった。
ひとつのものが目に入ると、そこから思い出が溢れ出てくる。路地を曲がればそこに20年前の僕がいるんじゃないか。そんな錯覚さえ感じてしまいそうになる。
20年が、まるで刹那のようだ。
一通り回った後、近所の食堂で昼食を取る。
このお店の娘さんと妹が同級生だったので、当時親交があったのだ。
挨拶したらおばさんも娘さんも覚えていてくれた。「全然変わってない」と言われたのはどうしようかと思ったケド。
帰りは同じ道を通るのもなんなんで海老ヶ瀬I.Cからバイパス沿いに。
距離的にはこっちの方が早いかもしれないけど、田んぼと工場ばっかりで走っててもおもしろくないなー。
寄り道をしつつ帰宅。今日一日の走行距離は約52キロ。ま、一日の走破距離としては悪くないかな。
なんとも懐かしく、楽しいサイクリングだった。後は明日あたり筋肉痛になったりしないことを願いつつ…。