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2012年03月30日

仙台行

3月30・31日に仙台に行ってきました。
2週間も経過しているので今更書くのもなんですが、こういう機会に更新しないでいつブログを更新するんだって話なので、振り返る意味も兼ねてつらつらと仙台でのことを書き綴ってみたいと思います。

ちなみに当日のTwitterのログはこちら。
きゅ-ちょー@悩惚堂本舗(@nokotsudo)/2012年03月30日 - Twilog
きゅ-ちょー@悩惚堂本舗(@nokotsudo)/2012年03月31日 - Twilog

仕事の部署が変わることもあり、いい機会なので溜まっていた有給を消費して9連休をゲット。
例によって前半はだらだら過ごしてたのだけど、せっかくの休みなんだからどこかに遠出しようと思いつく。
ちょうど週末はプロ野球が開幕、わが千葉ロッテマリーンズも仙台で開幕戦を迎える。
仙台は子供の頃の家族旅行と大学受験のときに行ったっきりだし、宮城球場にも行ってみたいしということで観戦に行くことに決定。

移動手段は往路・復路ともに高速バス。池袋行の高速バスはすぐ売り切れちゃうけど、仙台行はそれほどでもないみたい。料金も池袋行よりも安いし、意外と近いね仙台。
バスのチケットは取れたけど問題は試合のチケット。開幕戦はとっくに売り切れていたので2戦目を観戦するつもりだったのだけど、天気予報では雨。
わざわざ仙台まで行って試合を観られないのでは目も当てられないのでヤフオクで開幕戦のチケットを探したところ、運よく外野指定席のチケットを連番でゲット。価格も良心的でした。
余談だけど、帰ってきたらチケットの出品者がアカウント停止されていた。入金は済んでたので問題はないんだけど、何があったのかちょっと気になる。

そんなわけで30日の朝から杜の都を目指して出発。
新潟駅から高速バスで約4時間。東京に行くよりは近いけど、バスの乗り換えの関係で家からだと同じくらいの時間。まあいずれにしてもあっという間。お昼ごろに仙台に到着。
昔、受験で来た時も思ったのだけど、東北とは言え太平洋側なので気候は穏やかなイメージがある。まあ30日は特別に気温が高かったみたいだけど、気温の下がった31日の寒さも、新潟の寒さと違ってなんか緩い気がした。

青葉城跡なう。 on Twitpic

試合開始まで時間があるし、少し観光。
31日は天気が悪そうなので屋外の観光地、ということで青葉城跡を見てこようと思い立つ。
観光バスに揺られながら青葉山へ到着。
なんか、青葉山って仙台駅から歩いてすぐの場所にある小高い丘、みたいになぜか思い込んでたのだけど、結構距離もあるし、普通に山だな。
仙台市内ではあまり感じなかったけど、青葉山では崩れたままの崖やらいまだに震災の傷跡が生々しかった。

こうやって見るとやっぱり仙台って都会よね。 on Twitpic

こうやって見るとやっぱり仙台って都会よねえ。
人口や人口密度では新潟とそれほど大きな差はないんだけど、新潟は郊外の人口が多いので中心地にそれほど施設や人口が密集してないし大きなビルも無いので、仙台の方がずっと大都市に見えるな。

まったくどうでもいい話だけど、青葉城と言うといまだに『鎧伝サムライトルーパー』のアニメイトカセットコレクションにおけるセイジの「いい加減に仙台、青葉城、広瀬川!」を思い出します。
なんてことをツイッターでつぶやいたら思いがけないほどRTとふぁぼが。すげーなトルーパー。

せっかく仙台に来たんだからやっぱり牛タンを食べなくては、というわけでガイドブックに乗っていた駅前の店で牛タン丼を食す。
「牛の舌って薄いんですね」なんて『ひだまりスケッチ』でゆのっちが言ってたけど、牛タンって薄くスライスされてるものだってイメージがあったので、ブロック状の牛タンがごろごろ乗ってるのはちょっとびっくりしました。

というわけで、Kスタなうですよ。 on Twitpic

時間も頃合いなのでKスタへ。
さすがに開幕戦ということで賑わってました。

Kスタはもちろん初めてきたけど、グラウンドとの距離も近いし、いい球場だね。マリスタとはまた違うアプローチでメジャーを意識し... on Twitpic

プロ球団のフランチャイズとはいえ、やっぱり地方球場という印象。
マリンよりは小じんまりとした印象ですが、その分スタンドとフィールドの距離が近い。
マリンとは違うアプローチでメジャーを意識してるのかなーって感じ。

座席はライト側外野指定席の最前列。いい席取ったわ。
しかし、マリンより先に外野席デビューを果たすとは思いませんでした(マリンではいつの内野自由席なので)。
ビジター応援席じゃないので、マリーンズファンとイーグルスファンが混在。まったりと観戦するにはいいかも。

チケットは連番で入手したので一席空いてしまうことに。
ツイッターで一緒に観てくれる人を募集したところ、仙台在住・莫煩悩~(´ー`)~の柊まなさんが希望されたので、途中から柊さんと観戦。

開幕戦、田中マーくん、宮城球場と苦手条件が3つ揃った試合。正直、厳しいかと思ってた(第2戦を観戦しようと思ったのはそういう理由もある)。
ところが、フタを開けてみれば、ホワイトセルと井口の活躍、イーグルスの守りの拙さから田中をマウンドから引きずりおろし、成瀬もエースらしい粘りのピッチング。最終回は薮田さんが炎上仕掛けたものの逃げ切り、見事に開幕戦を勝利!
試合の詳細はマリーンズ公式でご確認くださいませ。

試合後は柊さんと食事。
柊さんとはもう10年近い付き合い、と言ってもネット上だけなのでお会いするのは初めて。女子野球好きということでずっとうちのサイトを見てくれてます。
初めてとお話するとは思えないほど(おもに女子野球ネタで)盛り上がりました。こんなに女子野球について話せる人は他にいないのですっげー楽しかったです。
おかげで楽しいひと時を過ごせました。今後ともよろしくお願いします~。

夜は取っておいたビジネスホテルに宿泊。

明けて31日。
雨の予報だったけど、意外といい天気。
予定を立ててないので、駅周辺をウロウロ。
ヨドバシで地デジカを目撃。おまえ、まだ生きていたのか…。宮城は3月31日までアナログ放送をやってたそうで、地デジカも最後のお仕事だったみたい。

特に行きたい場所もなかったし、天気もなんとか持ちそうだったので、第2戦も観戦することに決定。天気が良ければ松島とか行こうかなと思ってたんだけど。

チケットをゆずってもらったので今日は内野指定席。雨は今のところ落ち着いてる。 #chibalotte... on Twitpic

当日券を買おうと思ったら、一塁側内野指定席のチケットを譲ってくれる方がいたので内野席で観戦。
雨が降ったり止んだりの上、やっぱりまだ3月、寒い。
試合中、半分くらいは座席を離れて売店の屋根の下で観戦してました。

試合は、唐川がまさかの乱調で序盤はバッティングセンター状態。どうなることかと思ったけど、悪いなりに試合を作れるのがやっぱり唐川のすごいところ。
跡を継いだロサのつくったピンチもルーキー中後が見事に抑え、開幕2連勝!
試合の詳細はやっぱりマリーンズ公式でどうぞ。

帰る前にお土産を購入。ずんだ饅頭を買ったのは間違いなく東北ずん子さんの影響。ずんずん♪
高速バスでさくっと新潟へ帰還。

というわけで、なかなか楽しい2日間でした。今度は天気の良い日にがっつりと観光したいな。

2011年11月01日

幕張の防波堤

オリックスバファローズの小林雅英が引退すると聞いて思いの外ショックを受けている自分に気付いた。

小林雅英。長年マリーンズのクローザーとして君臨し、その万全の抑えっぷりから“幕張の防波堤”の異名を取り、また打ち込まれながらも最終的には抑える姿から“劇場王”とも呼ばれた選手である。

私がマリーンズを応援するようになったのは00年頃から。コバマサが抑えに定着したのも00年シーズン途中からなので、私にとってはマリーンズの抑え=コバマサというイメージが今でも強い。
ボビー以来のファンには劇場王としての印象が強いだろうけど、2003年までの彼はほぼ無敵のクローザーだった(たまに爆発炎上してのちの劇場の片鱗を見せることもあったけど)。
6日連続セーブや17試合連続セーブ、33試合連続セーブポイントなどを記録したのもこの時期。

歴代4位となる日米通算234セーブも素晴らしいが、あまり語られないけれども7年連続20セーブも凄い記録。
この記録はあの大魔神・佐々木や高津も記録していない。コバマサ以外には岩瀬が記録しているのみ。
どれだけクローザーというのがいかに長く続けるのが大変な役割かということがわかる。長年にわたるトレーニングと節制の賜物だったのだろうと思う。
00年代前半、Bクラスに低迷し続けていた暗黒マリーンズにとって、ジョニーの熱投、小坂の守備、初芝の存在感と並んで、小林雅英の存在は俺達の誇りだった。

一般にクローザーというのは責任感が強い選手が多いが、「完投出来なかった先発投手が悪い」「自分の役割は逆転されないこと(=同点までなら点を取られてもいい)」などとある意味無責任な言葉を吐ける放胆さを持つ、他にはいないタイプの選手だった。こういう良い意味での無責任さがクローザーに向いていたんだろう。
そういうコバマサの性格を頼もしく思いつつも、マリーンズが低迷していたあの頃、優勝に関係無い試合でセーブを上げ続けるコバマサを見て、98年の佐々木のように優勝を争う痺れるような場面で投げさせてあげたい。豪胆な精神を持つこの投手がどんなピッチングをするのか見てみたい。なんて風に考えていた。

その思いは05年に実現するんだけど、その結果が05年のプレーオフ第2ステージ第3戦、あの伝説のコバマサナイトですよ(その日の私のブログ記事→天国から地獄へ)。
プレーオフのその後の展開も含めて、これから野球を観続けてもあんなドラマは多分観られないんじゃないだろうか。まさしく“劇場王”の面目躍如である。
あのマリーンズ31年ぶりの優勝の歓喜と合わせて、あのコバマサナイトは決して忘れなられないだろうな。

今にして思えば、ジョニーがリタイアしたあとのマリーンズのエースはコバマサだったんだと思う。
エースの条件というのは色々あるだろうけど、私が一番大事だと思うのは「こいつで負けたら仕方ない」という信頼感があること。
悪いけど、直行にも成瀬にもそういう気持ちを抱いたことは無い。ジョニーのあとにそういう気持ちを持たせた投手はコバマサだけだ。
特に後年はヒヤヒヤさせられっぱなしで随分心臓を鍛えさせてもらったけど、コバマサがマウンドに上がるとき、いつも彼と勝利を信じていた。

記録にも記憶の残る名選手だったと思う。最後はマリーンズに帰ってきてほしいと思っていたけど、それは叶わなかったな。兎にも角にも、13年間お疲れ様でした。

あなたは日本一のクローザーでした。

2010年10月02日

2010ファーム日本選手権 鳴尾浜タイガースvs浦和マリーンズ

Twitterでさんざんつぶやいたのでブログは…と思ったけど、こんなときじゃなきゃ最近はブログ更新しないのでさくっと書いちゃうことにしよう。

というわけで、前日の一軍のクライマックスシリーズ出場決定の興奮も冷めやらない中、浦和マリーンズがイースタン代表としてウェスタン代表の鳴尾浜タイガースと対決する、ファーム日本選手権をHARD OFF ECOスタジアム新潟で観戦してきました。

今年はマリーンズの試合を生で観るのは初めて。年に一回くらいは上京してマリーンズの試合を観るようにしてるんだけど、今年は主に経済的な理由で行くチャンスが無かった。それがまさかこんな形で観戦の機会が訪れようとは。
地元の球場でファーム日本選手権が開催されて、それに参加するのがマリーンズだってんだから、そうそう無い幸運っぷりだな。

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HARD OFF ECOスタジアム新潟、昨年の開場以来行かねばとずっと思っていたのだが、なかなかタイミングが合わなかった。初めて行くのがマリーンズ戦というのはまあ私らしい。

#chibalotte 3å¡?å?´è?ªç?±å¸­ã??å??ã?¨ã?³ã?¹ã?¿ã? ã??ã?©ã??å?°... on Twitpic

新しいだけあって綺麗だし、解放感もあっていい球場だなあ。
マリスタに比べるとちょっと小ぢんまりした印象もあるけど、その辺も地方球場らしくていい雰囲気。

今日の新潟は久しぶりに夏が戻ってきたみたいで絶好の野球日和だった。
お陰でスタジアム内は凄い暑さだった。座席が熱くなって座れないくらい。さすがに夕方はかなり涼しくなったけど、

お客さんの入りはちょっと寂しめ。タイガース側の方が多かったのは、まあ仕方ないがちょっと悔しい。
外野席にはジントシオさんを始め、応援団の方々も来ていた模様。昨夜マリンで試合があったのにご苦労様です。
Twitterによると多くのマリーンズファンが新潟に集結していたらしい。レプリカユニフォームや選手Tシャツのファンもたくさん。ちなみに私もMキャップ&背番号26Tシャツで観戦してました。
あとは、少年野球のチームや高校生、地元の家族連れやおじいちゃんなど、せっかく地元で野球やるんだから行ってみんべーみたいなお客さんもたくさん。このあたりも地方球場のおもしろいところ。

試合は7回までタイガースの蕭にパーフェクトに抑えられ、守っても四球や守りのミスで失点を重ねて4対0と苦しい展開。
ところが8回、4番細谷が初ヒットを放つと後続も続き、満塁で代打・金澤がタイムリー。さらにワイルドピッチで2点奪い一点差に詰め寄る。
こうなると勢いはマリーンズ。9回、ランナー12塁で竹原が同点タイムリー! さらに満塁とすると押し出し四球で逆転!
粘るタイガースも9回裏に同点に追いつき延長戦に突入するも、10回、またも満塁とすると今度は押し出しデッドボールで勝ち越し。
10回裏は一死13塁と長打が出れば逆転サヨナラの場面となるも、ライトへのファールフライでなぜか一塁ランナーが飛び出してタッチアウト。マリーンズが大逆転勝利を決めた。

#chibalotte å??ã?£ã??ï¼?ï¼?ï¼? on Twitpic
胴上げされる慶彦監督。iPhoneなので写りがアレですが。

いやあ、なんともグダグダな試合だった。
6点のうち、ワイルドピッチと押し出しで4点取ってるからなー。
マリーンズの方も勝ったとはいえ、守りのミスが多く、四球からの失点もあり、とても褒められた内容じゃなかった。観戦に来ていた野球少年たちは決して見習わないように。
まあ何はともあれ勝てて良かった。

3安打放った細谷がMVP。打撃はもちろん守備でも軽快なところを見せていた。正人や塀ちゃんよりは細谷を上げておくべきだったんじゃね? って気もするが一軍でベンチを温めるよりはファームで実戦を積んでた方がよかったのかも。一軍の内野の壁は厚いけど、今後の成長に期待。

そして竹原。一軍では依怙贔屓のように使い続けられたのに凡打を繰り返してたけど、今日は見事な同点タイムリーだった。今日のバッティングで今年の一軍での数々の凡打は忘れてやることにする。来年はあの打撃を一軍で見せてくれ。

すでにコーチ就任が決定してる大塚がすでにコーチとして普通にバッティングピッチャーや一塁ベースコーチやっていた。そもそも出場資格満たしてないし、登録もコーチだったりする。
一軍での引退試合が無かったこともあり、試合終了後、大塚の応援歌が何度も歌われていた。私も最後の大塚明体操をやったよ。ゴーゴーオオツカアキラ!

戦力外となった堀さんの出番があるかとひそかに期待していたのだけど、ベンチ入りもしてなかったらしい。うーむ、マリーンズのユニフォームを着て打席に立つ堀幸一の姿を、最後にもう一度見たかった。

タイガースの新潟出身選手・横山。試合前に記念の花束をもらっていたし、10回表に登板した時も一際大きな歓声を浴びていた。
が、結果は1被安打2四死球で降板。替わった石川が打たれたため敗戦投手になってしまうという不運っぷり。
延長が無かったら登板の機会自体が無かったので、出番があっただけ良かったと思おう。地元の知人縁者がみんな集まってただろうに可哀想だけど、プロだからね。

いつもはネット観戦のファンとしてはやっぱり生で応援できるのは楽しかった。
やたらに盛り上がる神戸の応援やらチャンステーマも、内野席からとはいえやれて良かった。球場ではどちらかというと「観戦」を優先したい方なんだけど、やっぱり「応援」で盛り上がりたいって気持ちもあるのよね。こんな機会だったんだから、外野で観戦でも良かったかも。

中盤まではどうなるかと思ったけど、最終的には逆転勝利、マリーンズファンとしては堪らない試合でした。
初の新潟スタジアムでの野球観戦が、こんなにおもしろい試合で良かった。
細谷を始め、今日出場した選手たちがマリンスタジアムの一軍の試合で活躍する日を期待しつつ、勝利の喜びに浸りたいと思う。

2010年06月23日

燃えよマリーンズ!2000

私がマリーンズを本格的に応援するようになったのは2000年の事なので、もう10年経つんですな。
千葉に住んでいて、ジョニー黒木という選手に興味を抱いたのでなんとなく応援はしていたのだけど、試合中継を観たり、ちゃんと応援するようになったのはその頃から。初めて千葉マリンスタジアムに行ったのもこの年でした。この年、2回マリスタに行って、2試合とも初様がホームラン打ったんだよなあ。
そんな10年前の、マリーンズファンになったばかりの頃の私がつくった替え歌が旧サイトから発掘されました。見てみたら懐かしくなったので、当時をちょっと振り返ってみようかと思います。
あ、言うまでも無く山本正之作詞作曲の『燃えよドラゴンズ!』の替え歌です。マサユキストになったのはさらに昔ですから。

遠い夜空に こだまする
カモメの羽ばたき 耳にして
マリンスタジアム 詰め掛けた
僕らをじいんと しびれさす
いいぞ頑張れ マリーンズ
燃えよマリーンズ

1番諸積 塁に出て
2番サブロー ヒットエンドラン
3番福浦 タイムリー
4番石井が ホームラン
いいぞ頑張れ マリーンズ
燃えよマリーンズ

神話を作れよ ボーリック
初芝 堀よ 打ちまくれ
ガッツで守れよ 清水将
小坂よ ベースを駆け巡れ
いいぞ頑張れ マリーンズ
燃えよマリーンズ

サンデー晋吾が 勝ちを取り
黒木よ 今こそ 蘇れ
投げ抜け ロバーツ 清水直
武藤よ 後藤よ 返り咲け
いいぞ頑張れ マリーンズ
燃えよマリーンズ

ウォーレン 河野に 川井 和田
吉田 竹清 中を継ぐ
鉄腕・藤田が 後を断ち
最後に 小林雅が行く
いいぞ頑張れ マリーンズ
燃えよマリーンズ

大塚 立川 早川と
橋本 吉鶴 平井 佐藤
酒井 山本 松本だ
本西 バリーに 秦 巌
いいぞ頑張れ マリーンズ
燃えよマリーンズ

牛を倒して ハム食べて
獅子の牙折り 鷹落とし
そして青波 乗り越えて
カモメは悠々 天に舞う
いいぞ頑張れ マリーンズ
燃えよマリーンズ

僕もあなたも 願ってた
祈る気持ちで 待っていた
それは一言 優勝だ
山本監督の 胴上げだ
いいぞ頑張れ マリーンズ
燃えよマリーンズ

がんばれがんばれ マリーンズ
燃えよマリーンズ

なんだか懐かしい名前が並んでますね。
今も現役でマリーンズに在籍している選手はサブロー、福浦、堀、大塚、小野のみ。薮田、里崎はまだまだ戦力になっておらず、塀内は高卒ルーキーでした。
ちなみに西村監督は当時、二軍外野守備走塁コーチを務めていました。

福浦、石井、ボーリック、初芝と続く打線は雰囲気だけならなかなか強力、ってファーストとサードが4人いるぞと思ったら、この頃福浦は外野守ってたんだよなー。足遅いのに。危なっかしかったことは覚えてるけど、今の大松や竹原よりもヤバかったっけ?
こんなオーダーが実際にあったかどうかは覚えてません。当時の私の理想のオーダーだったんじゃないかと思います。

ロバーツとかバリーとか、ああいたなあそんな選手、って感じ。ミラーとかよりは戦力になってたと思うけど、ネタ外人ってほどでも無かったので全然覚えてないや。この年はノットという外国人投手も途中入団してますが、尚更覚えてません。
武藤も後藤も返り咲く事は無かったなあ…。

せっかくなので当時のマリーンズについても簡単に振り返ってみます。
前年の99年は山本功児新監督の元、七夕には一時首位に立つなど最下位から脱出。エース黒木に加え、武藤、小林雅の三本柱が確立し、ジャイアンツから大砲・石井浩男が加入して投打の柱ができたことから、シーズン開始前はパ・リーグのダークホースとして期待されてました。
ところが、開幕してみれば、期待されていた三本柱は崩壊、石井も怪我と不調で4番の役目を果たせず、4月を5勝17敗という散々な成績で終えます。
その後は盛り返すものの、ファイターズに6勝20敗と大きく負け越したこともあり、結局5位に終わってしまいました。

しかし、酷いだけのシーズンという訳ではなく、後のマリーンズを背負う選手たちの台頭が見えた年でもありました。
まず、小野がサンデー晋吾と呼ばれブレイクし、不振のジョニーの穴を埋めます。最終的には松坂を抑えて最高勝率のタイトルを獲得。
また、2年目の藤田が70試合登板し最多ホールドを、小坂が2度目の盗塁王とゴールデングラブ賞を獲得しています。この頃のマリーンズ、弱い割には毎年タイトルホルダーがいたんですよね。
先発は失格だった小林雅がリリーフに回ると別人のように活躍し、守護神として長年君臨することとなります。劇場王としての印象の強いコバマサですが、この年から03年くらいまでは無敵のクローザーでした。
同じポジションに石井が加入したことに刺激を得た福浦が3割近い打率をマーク。翌年にはファーストのポジションを完全に奪い首位打者を獲得します。
期待されていたサブローがようやく才能の開花の片りんをみせたのもこの年でした。翌年からは不振に陥り、本格的なブレークは05年を待たないといけませんが(つーかサブローはいまだにブレイクしてない気もする…)。

「黒木よ 今こそ 蘇れ」という詞がありますが、これは前半戦不振だったジョニーに復活して欲しいという気持ちがこもってます。
前年までの酷使による怪我の影響で、キャンプでまともに調整できなかったために極度の不振に陥ったジョニー。しかし、アテネオリンピックを経て見事に復活、後半戦は7連勝で最終的には2ケタ勝利を上げました。
そして翌01年は開幕から神がかり的なピッチングを続けることとなります。あの年、ジョニーが最後まで無事に投げ続けることができたら間違いなく20勝していたと思います。ジョニーの離脱で失速したマリーンズも、もしかしたら優勝していたかもしれません。
結局、あの頃のボールがジョニーに戻ってくることはありませんでした。それでも、野球の神様に魅入られていたようなジョニーのピッチングを観ることができたのは幸運だったと思います。

さて、例年通りのBクラスに終わった2000年のマリーンズですが、この後も低迷を続けます。マリーンズファンが優勝の美酒を味わうのは数年後、青い目の魔術師の帰還を待たねばいけません。
10年の間、嬉しいこと、悲しいこと、悔しいことが色々ありました。なんでこんなチームのファンをやってるんだろうと思ったことも何度もありますが、気が付けばマリーンズファンであることは切っても切れない私の一部分になってしまっていました。
きっと、10年後も"MARINES IS MY LIFE"なんだろうなあ。

2010年03月07日

不屈の男 西本聖

マリーンズの投手コーチに西本聖さんが就任すると聞いて密かに喜んでいた。故・海老沢泰久さんの『ヴェテラン』を読んで以来ファンだったので。

そうは言っても現役時代は、子供だったのでほとんど覚えていない。ジャイアンツ時代よりはドラゴンズに移籍した89年、斎藤雅樹と並んで20勝で最多勝を獲ったことの方が印象的。

そんな西本コーチの事を調べていたらYouTubeで素晴らしい動画を発見。
YouTube - ライバル伝説 西本聖X江川卓♯1
エリートとして入団した江川に対し、ドラフト外で入団した西本。江川に対して強烈な対抗意識を抱き、やがて江川も西本を意識していくようになる。
沢村賞にまつわる因縁や伝説となった83年の日本シリーズについても語られる。
チームメイトに対してさえ「負けちまえ」と思うほどの強烈なライバル心。やはりプロにはこういう執念は必要だよなあ。
マリーンズはアットホームな雰囲気だし、ボビーが残してくれた明るく、前向きな気持ちも大切だと思うけど、こういう暗い情念みたいなものも見せて欲しい時がある。
西本コーチには是非、大嶺と唐川を、西本と江川のように切磋琢磨できるライバルに育てて欲しいもんである。

ついでにこちらも紹介しちゃおう。
不屈の男西本聖
2chのスレッドのログなんだけど、ここの>>88-89に歌詞が書き込まれている。
普通にスルーされているけど、実はこの曲、作詞作曲・山本正之だったりする。
西本がドラゴンズに入団した後その活躍に感心した正之さんが個人的につくった楽曲で、当然レコード・CD化もされていない。
この曲を知っているのはライヴに行くような濃ゆいマサユキストくらいなのでほとんど誰も知らないと思う。いっけないんだー勝手に歌詞書き込んだりしてー。正之先生に怒られるぞ。いやまあ紹介している俺も同罪なんだけど。
音源化されていないのが勿体ない名曲なのだけど、今後もCD化とかはまず考えられないので、聴いてみたい人はリクエストショーでリクエストしてください。
正之さんには他にも『がんばれ山本和範名選手』、『Go Go カープ』、『私の阪神タイガース』(ロッテオリオンズの曲もあるらしい!)などCD化されてない野球関連の楽曲も多いので、まとめてCD化してくれないかなあ。

2009年09月11日

海老沢泰久、死去

コンビニで『Number』を立ち読みしていたら、海老沢泰久さんの死去を悼む記事が載っていて驚いた。
作家・海老沢泰久は湿気なき硬骨漢だった。~スポーツを愛した作家の永逝~[NumberEYES]
寡聞にして知らなかったが、8月13日に十二指腸がんのため亡くなっていたらしい。

私が海老沢さんを知ったのは『週刊ベースボール』のコラム。辛口ながら鋭い批評をする人という印象だった。
その後、友人Fから広岡達朗をモデルにした小説『監督』を借りて読んだのをきっかけに、海老沢さんの野球に関する小説やノンフィクション、コラムなどに触れるようになった。
小説でもノンフィクションでも、冷静で乾いた筆致が印象的。それでいて読後感にカラッとした爽やかさを残す作品が多かった。
野球の見方、考え方について、実は私はかなり影響を受けている。私がプロ野球チームを企業名で呼ばない(特にジャイアンツを巨人と呼ばないこと)のも海老沢さんの影響だったりする。

余談だけど、前述の『監督』が『メイプル戦記』の下地(というかパクリ元)になっていたり、『赤毛のサウスポーPART2』の解説を書いていたりと、女子野球ものに微妙に縁がある人だったりする。

週べでコラムを書かなくなり、コラムのためだけにトーチュウを買うわけにもいかず、そろそろまたコラム集を出してほしいと思っていたので、今回の訃報は本当に残念。
まだ59歳。作家としてはもちろん、野球界に警鐘を鳴らす書き手としてもまだまだ活躍してほしい人だった。
謹んで哀悼の意を表します。


今日はこれを読みつつ早すぎる死を悼みます。

2009年08月24日

日本文理高、夏の甲子園 準優勝!

まさか水島御大の妄想作品以外で新潟の代表校が甲子園の決勝を戦う日が来ようとは…。

そんなわけで、日本文理対中京大中京の甲子園決勝戦。
仕事中なので、Yahooの一球速報で経過を追っていました。
8対2になったときはこりゃあダメかと思ったけど、文理ナインは決して諦めていなかった。
速報を見ているだけで、決して試合を捨てずに必死にボールに食らい付いているのが目に浮かぶようで、胸が熱くなった。
そして9回の怒涛の反撃。それこそ水島漫画でもやらないような燃える展開だった。最後もほんの紙一重。惜しかった。
10失点を喫したとはいえ、エースの伊藤投手はよく投げた。チーム事情もあるとはいえ、失点しても決して交代しなかったのは監督や選手がエースを信頼していたからなのだろうな。甲子園のすべての試合を投げ切り、今大会で最も多くマウンドに立ち続けた投手、敗戦投手となったとはいえ、誇っていい。

生で観られなかったことを後悔するくらい、素晴らしい試合でした。両チームの選手たちに拍手を。
そして、日本文理高校の選手たち、胸を張って、新潟に帰ってきてください。



千葉の某プロ球団も、高校球児たちの必死さを少しは見習ってほしいもんである…。

2008年05月10日

『白球少女』第2巻発売!

今一番私が注目している女子野球作品(って他に無いんだけど)である『白球少女』の2巻が発売されましたよ。

白球少女 2 (Flex Comix)白球少女 2 (Flex Comix)
山崎 毅宜


Amazonで詳しく見る
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タイトルは“しらたましょうじょ”と読みます。“しらたま”でもこちらとは関係ありません。

今回一番の注目点は、帯の推薦文が「ゴー!ゴー!オーツカアキラ!」でお馴染み、マリーンズの大塚明選手だということでしょう!

野球はしてないけど…… お勧めです!

つーか、競馬やらマンガの原作やらやってないで野球やってください。
え、違う? 大塚のことじゃないの?

とまあ冗談はさておき、ホントに第1巻以上に野球やってません。野球やってない度では『わいるど☆ぴっち』並みです。
まあ野球漫画じゃなくて「野球漫画の皮を被った何か」らしいのでいいんですが。
2巻のメインは宿命の親子喧嘩なんだけど、アクションシーンの躍動感がすげーなー。なんでこれを野球シーンで描かないのか…。
何はともあれ今一番おススメできる女子野球作品(だから他に無いんだって)なので、未読の方は1巻も合わせて是非どうぞ。
また、Yahoo!コミックでは第1話と最新話が無料で読めるのでこちらもどぞ。

2008年03月15日

最後の背番号54

シーズン開幕前にはアップしたいなーと思っていたら、開幕どころかもう4月になっちゃいますな。
いくらなんでも遅すぎですが、3/15に千葉マリンスタジアムで行われたオープン戦およびジョニーの引退セレモニーのために、久しぶりに上京したのでそのときの模様を簡単に。

朝イチに家を出て高速バスで長岡へ。長岡から新幹線に乗り換えて東京まで。新潟駅まで行く時間を考えると高速バスで長岡まで出た方が楽だったりする。東京週末フリーきっぷも使えるし。

京葉線に乗って、約2年ぶりのマリンスタジアムへ。
開場直後の11時過ぎにマリスタに到着したけど、すでに人、人、人で、入場口は長蛇の列。

 
こりゃあ一塁側は無理だろうと初めて内野自由席三塁側に回る。

なんとか1階席の上の方に席を確保。
最終的に観客は28926人。…マリンのシーズン開幕戦より客入ってますな。

試合の方はロッテ野球全開でなかなかグダグダ。満塁で点が取れない病は今年も治っていないらしい。

先発は俊介はそこそこのピッチングでした。

今まではマリンに行ってもなかなか時間が取れないことも多かったけど、今日はオープン戦ということでマリンの内部をぐるりと回ったり、マリーンズミュージアムをまったりと眺めたりしました。

前回見忘れていたボビー神社。ありがたやありがたや。

試合が終わっても誰も席を立とうとしない。多くの人にとって、試合の後こそが今日のメインだったのだから(無論私も含めて)。

帰ってきた背番号54。

ジョニーについての私の思いは自由契約になったときにほぼ語ったのでもう言わない。
ジョニーがマリンスタジアムのマウンドに立った最後のときに、同じ場所にいられた事を嬉しく思う。
ジョニー、お疲れ様。今まで、本当にありがとう!
 
 
 
セレモニーの後、例によって一夜の宿を借りる友人Hと合流し、Hの顔見知りの居酒屋で呑み。
なんか、数年分まとめて旨い日本酒を呑ませてもらいました。私が本気で旨いと思うんだから、相当いい酒だったんだろーなー。
ま、お金もそれなりに取られましたが、たまにはいいよね。

2008年02月29日

くちびるにエール

久しぶりに降りた駅は
いつの間にかファンが増えて
まるで見知らぬ街のよう

見覚えある田吾作スタイル
すれ違って振り返っても
背番号6であるはずもない
長くもない時間の中で
四番打者も抑え投手も変わったけれど
変われないものもあるわ
ホームランに うずくまるあなたを
スタンドから見守ってた あの日の私
そのまま この胸の中いるもの
Not so long as a change.

秋はいつも 胴上げ阻止
帳尻で 連勝しても
結局チームの 順位はBクラス
長くもない時間の中で
外野席のファンの姿は変わったけれど
変われないものもあるわ
一途だった暗黒シーズン
あの時代に刻み込んだ声援だけは
自然に唇ついてこぼれる
We Love Love Love Marines
We Love Love Love Marines

言うまでもなく笠原弘子さんの名曲『くちびるにメモリー』の替え歌。
チームは変わるし、ファンも変わる。だけど、変わらないもの、変われないものはあるよね。

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